2013年09月08日

スリランカ(旧セイロン)世界遺産の仏教遺跡を訪ねて 副会長 森勝昭

 今回も瓜生津隆真先生(元京都女子大学学長 真宗学)と共に、仏教園、セイロン島を旅行仲間24名、添乗員1名(トラベルサライ)と、平成24年7月21日から26日まで、かつての内戦国であったとは思えな
い程の緑豊かで治安の安定したスリランカを訪問し、貴重な体験をするご縁を頂きました。
 スリランカは、インド大陸の最南端に位置する常夏の熱帯雨林気候の島国である。
 赤道に近くもっと暑い国かと思 ったが、日本よりもさわやかでしのぎやすい気候であった。
 紅茶や宝石で有名な島で、北海道よりも少し小さい国土で、首都はスリ・ジャヤワルダナプラ・コ ッテ、人口は約2000万人、仏教徒(上座部=南伝仏教)が70 %、キリスト教11%、 ヒンド ゥー教10%、イスラム教9%です。
 この国は古来から自然風土的にも歴史的にもきわめてインドと密接な関係を持っています。
 紀元前5世紀、北インドからシンハラ人の移住、南インドからタルミ人の移住と、13世紀頃には南インド動乱に伴うタルミ人の侵入の歴史があります。
 16世紀にはポルトガル、17世紀にはオランダ、18世紀にはイギリスの植民地化となり、このように外国からの侵入や植民地支配された時代があった。
 1948年2月(昭和23年)にイギリス連邦内の自治領として独立し、1972年(昭和47年)国名はスリランカとなった。
 小さな固ながら実に変化に富んだ風土である。高い山でも2500m級で山地は雨も多く、電気は水力が60%、火力が40%で原発はありません。
 雨量が多くて人工溜池の設備がある地域は、米が年 2回(二期作)、雨の少ない乾地は年に 1回しか収穫出来ません。
 他に野菜、バナナ、ゴム、ココナツ、山地では紅茶、ユネスコ世界遺産では文化遺産が6件、自然遺産が2件あります。
 その世界遺産めぐりの旅行を日程を追って報告します。

7月21日(土)初日
 米原駅朝2番の新幹線で品川駅まで。JR成田線経由空港第2ビルにて仲間24名添乗員1名と合流する。
 知っている人、初めて出会う人など、成田発PM1時20分にてコロンボ空港へ直行便で9時間20分の飛行時間。機内食、昼・夜の二回あり、旧首都コロンボに到着して入国手続き、両替など。
 1万円をスリランカルビーに。10ルビーが70円ぐらい、ドルでも買い物は出来ます。
 時差は日本と3時間30分。腕時計を現地時間に合わす。
 今日はホテルに一泊するだけ。このホテルが大変だった。
 空調機の水滴が天井からポタリポタリと・・・床面は水びたし!
 さっそくフロントへ電話するが言葉が通じない。
 フロントへ行き、手振り身振りで修理をたのんだ。天井の空調機が古いのか水路にホコリが詰まってこぼれ落ちたらしい。
 何とか修理が出来てやれやれ、寝る時間が2時間ほど短くなってしまった。

7月22日(日)ニ日目 
モーニングコール6時、朝食7時、出発8時。
 このツアーはいつも朝が早いのでつらい!!
 インド洋の海岸ビーチに面したレストランで朝からカレーのバイキング。このバイキングが最終日まで朝・昼・夜と続く。
 これがまたうまい。辛いものやそうでないもの、いろいろ。
 日本車の三菱ふそうバスに乗り、ハパナラへ行く途中にてダンブッラ石窟寺院に
参拝。
 世界遺産でスリランカ最大規模の寺院で、約2000年前に造られたそうです。
 150体を超える金色に輝く仏像や神像が安置されています。
 都がどこに変わろうとも人々は大切に守り続けてきました。
 寺院参拝は裸足となります。ビルマでもそうでしたが、寺院は神聖な場所としての規律があります。女性のミニスカートは勿論、ノースリーブなど肌をあまり見せてはいけません。
 パスの車窓からの眺めは、ヤシの木、モンキーバナナの木が実をつけて、畑や空き地などに立ち並んでいます。
 稲刈りが終わった田んぼが広がっていた。
 昼食はカレーのバイキングいろいろ。ご飯はかつてのタイ米のようにパサパサですが、くだものは南国らしい美味しいものばかりです。ビールがうまい!!キリンならぬタイガービールでした。大瓶は400ルピ一、日本円で280円ぐらい。中庭では野生のリスやトカゲがうろちよろしています。
 夕方に広大な自然の中にあるリゾートホテル(ロッジ方式)に着いた。あまり広いので自分達の部屋まで行くのが大変でした。
 夕食までにホテルの近くにて、象に乗って約1時間のサファリーを楽しみました。一人で米ドル30ドル、2400円ほど。木に掛けたハシゴに登って象の背中へ5〜6人が乗ります。
 途中に象使いの仲間がいてバナナを売っています。
 象に食べさせるのですが、このバナナが結構高い!
 象は鼻を伸ばして食べてくれます。よく調教しているものだ。

7月23日(月)三日目
 6時起床、7時朝食、8時出発
 広大なホテルの庭を早朝散策、カレーのバイキング。
 世界遺産アヌラダプーラの仏教遺跡へ。道は舗装されているが補修が行き届かず、ガタガタ道。
 三菱ふそうパスにて移動、新車並み?だ。
 現地での車は、日本製のトヨタ・ホンダ・日産・スズキなどの中古車が8割方、パス・トラックはインド製のTATA、昔なつかしいオート三輪車・リヤカー・運搬自転車など所せましと走っている。
 山間部で、小学校の生徒集団をパスの中から見る、制服は上下真白、女の子はスカートにネクタイと揃っています。
この国は、小学校・中学校まで義務教育、公立学校は大学まで学費は無料で誰でも門戸は開かれていますが、大学試験は難しいとのこと。
 貧富の差が激しく家庭の事情で子どもでも家の仕事をしたり、町では路上で物売りをしている子どもあり、
現実は理想的にはいきません。
アヌラダプーラは、人口100万人スリランカ最古の都として栄えた。
 お釈迦様のご成道の聖地ブッダガヤから、アショカ王の王子により伝えられたスリマハ菩提樹を参拝。
 現在のブツダガヤ大塔の菩提樹は再びこの地から株分けされたものです。
 この町から、ピルマ・タイ・カンボジアなどへと南伝仏教が広まりました。
 お釈迦様のご成道の聖地ブッダガヤから、アショカ王の王子により伝えられたスリマハ菩提樹を参拝。
 現在のブッダガヤ大塔の菩提樹は、再びこの地から株分けされたものです。
 この町から、ピルマ、タイ、カンボジアなどへと南伝仏教が広まりました。
 途中でアウナカブッダは一枚岩から削りだされた美しい立仏像に参拝する。
 この立像は 5世紀頃の彫像です。
 菩提樹の木の下で瓜生津先生よりお話をして頂きました。
 北伝仏教(大乗仏教)は、インドからヒマラヤを越えてシルクロ ードを通り中国、朝鮮半島、日本へ。
 南伝仏教(小乗仏教)、今は上座部仏教といっていますが、インドから紀元前三世紀頃にセイロンに伝来した。アショカ王の王子マヒンダが伝導師としてこの島へ来られています。
 チベット仏教のことや、1949年(昭和24年)に中華人民共和国(中国)が成立して10年後の昭和34年に第14代ダライマラはインドに亡命して、ダライ政権が崩壊した。
 こんなお話を車イスにて、まるで学校の講義のように皆な熱心に聴いていました。
 どの寺院でも、境内には必ず仏塔と菩提樹と涅槃像を祀っています。
 涅槃像はブッダがインドのクシナガラで入滅された時の寝姿です。
 目をばっちりと開き、黒目でやさしくこちらを見ておられる顔は、 80歳の顔でなく、まさしく 1 5・16歳の顔としか思われない。
 南伝仏教の特徴として明るいイメージを与えています。北伝仏教の少し暗い涅槃像とは大きく変わっています。

7月24日(火)四日目
 6時起床、7時朝食、8時出発
 この旅行の一つのメーンであります、天女のプレスコ画で有名なシギリヤロックへ。
 緑のジャングルから突然と立ち上がった標高200mの岩山、その頂上の台地には1500年前のとりで、宮殿跡、プールなどがあり、なんでこんな山頂に王宮があったのか不思議な思いがしました。
 ここには多くの謎に包まれた伝説があります。
 異母兄弟の壮絶な王権争いで、実の父王を殺して長男が王位についたが、弟の追害を逃れるためにこの巨大な岩山の山頂に王宮を移したが、11年後に弟との決戦に破れ自害しています。
 岩山の中腹には、世界でも名高いシギリヤのプレスコ画があります。
 天女でもある乙女達が神秘的に微笑しています。
 この岩山を登るのが大変でした。
手助けしてくれる青年達がいます。ありがたいと思ったが、これがチップ目当て・・・。
 断るのに大変で、物売りはつきまとうし、ハチから身を守る為に防護服を着せられて、暑いのなんの・・・。
 けれども山頂から360度のすばらしい眺望でした。
 世界遺産の街並み古都キャンディへ。
 人口100万人。ポルトガル、オランダと二世紀に渡り植民地政策を生き抜き、その後、イギリスの植民地となり、1815年、日本では江戸時代の後期にイギリス軍がこの地キャンディに入り、王朝は消滅した。
 陥落するまではセイロン最後の王朝が栄えた都でした。
 夕方からは、仏歯寺(ダラダ・マリガワ)参拝やペラヘラ祭りのパレード見学でした。
 仏歯寺には、仏陀入滅後燃え盛る火葬の炎から必死に守られて、王女が黒髪に隠してセイロンに運んだと
伝えられる仏陀の歯が祀られています。
 毎年7月〜8月にかけて満月の日を中心として、二週間伝統的な仏歯祭りが華やかに行われています。
 パレード前に法要時間に合わせて仏歯寺に参拝しました。勿論裸足で。
 ペラへラ祭りは、数千の踊り子(ダンサー)男性の大人・子どもが主体となり100頭以上の象が電飾や刺しゅうで飾った衣装を身にまとい、古典音楽隊がドラムに合わせて街を練り歩きます。
 私たちは屋根のある指定観覧席にて、夜8時から約1時間半のパレードを見学しました。
 セイロン全島から集まった観客や私たち外人客を含めて身動きが取れないくらいで、日本からわざわざここまで来て祭りを見るなんて・・・。それは壮観で感動ある祭りでした。
 迷子にならないようにと気配りしながら、25名揃って無事にホテルに帰りました。
 この期間中のアルコール類は、露天やホテル内では販売禁止また禁酒となっています。日本とは大違い!!
 夜おそくなり、10時30分ごろからのカレーバイキング、部屋に帰ってから同室の方と持ち込んだ缶ビ
ールにて一パイ会。あくまでもそ〜と。

7月25日{水)最終日
 6時30分起床、7時30分朝食、8時30分出発。
 古都キャンディから、旧首都コロンボに向かい観光地や寺院参拝となった。
 イギリス領時代の王立であった広大なペラデニア植物園見学。
 日本ではまず見られない巨大なヤシの木。
 ハワイの「この木何の木、気になる木」と同じパイカスベンジャミンの大樹。
 大きな実をつけたダブルココナッツ、アショカの木(無憂樹)、ドリアン、黒たん、白たんの木など珍し
い樹木がいっぱいでした。
 ケラニヤ寺院、ここでも裸足での参拝。
 本堂内部の涅槃像、座像、釈迦の生涯を表した壁画などを見学。 ここでもさすがに仏教国。沢山の親子ず
れや孫達の手を引いての参拝客でした。これはビルマと同じ情景。
 日本でもかってはこのような神社、お寺参りであった。私たちが次の世代に伝えていく大切な仕事があります。
 途中パスの中でカラオケが始まった!
 添乗員トラベルサライの柴野さんからマルマルの歌でしたが、私は歌詞を忘れました。
 現地日本語ガイドのシピリさんが「二人酒」を歌ってくれました。うまいうまい皆なびっくり大拍手。
 コロンボ市内で、初代大統領であったスリジャヤワルダさんの元住いだった家をバスの中から見学しました。
 コロンボは旧首都。にぎやかで高層ビルが建ち並ぶ美しい町でした。
 久しぶりに交通信号機を見ました? 地方には信号機はありませんでした。
 セイロン島の西側の海岸線をバスで走っている。インド洋が広がり、子どもたちがたこ揚げをしています。
 この国は、他国からの侵入、侵略による植民地政策など悲しい歴史がありました。
 また国内では、1938年(昭和58年)シンハラ人とタルミ人との民族対立が2009年(平成21年)に至るまで内戦状態が続いた。
 その聞には反政府組織(タルミ・イーラム解放のトラ)が独立宣言するなど混乱な時代がありました。
 今は何にもなかった様に家族連れや若いカップルたちが夕日が沈む砂浜で楽しく遊んでいました。
 この国はこれから、観光業、紅茶、ゴム、ココナツなど輸出品などで大きく成長すると思います。
 夕方にヒルトンホテルに到着。ここで日本料理店にてさようならパーティ。食べたかった刺身、味噌汁など出る。ご飯は日本米で美味しかった。
 瓜生津先生ご夫妻の金婚と傘寿のお祝いに、皆からの記念品と花束を贈呈しました。
 久しくタタミの上でゆっくりくつろぎました。
 日本の暑い気候よりもさわやかで快適な思い出多い旅行が出来ました。
 コロンボ空港深夜11時30分にて成田空港へ無事に帰国した。暑い暑い!
 ここで中部国際空港組と大阪伊丹空港組とに分かれた。
 瓜生津先生もお元気で上座部仏教など車イスに座つてのお話を頂きました。ただただ、感謝の気持ちでいっぱいでした。
 何よりも皆が元気で楽しい旅が出来たことが幸いでした。

<追記>
 私は、この話を初めて聞きました。(WEBトラベルサライより抜粋)
 日本とスリランカとの関わりについて、私たち日本人として、忘れてはいけない人物がおられました。
 今の日本があるのは、一人のスリランカ人のお陰だったのです。
 その人は、スリジャヤワルダさんです。
 日本とスリランカとの歴史は古いそうで、第二次世界大戦後の、1951(昭和26年)のサンフランスコ講和条締結後、世界で一番早く正式に外交関係を結んでいます。
 この方は当時大蔵大臣で後に初代大統領になっておられます。
 講和会議の席上で、諸外国からは、「日本に今、この段階で平和を与えてはならぬ。日本は南北に分割しろ。独立させるのは時期尚早。など、さまざま論議意見が出る中『ブッダの言葉』を引用し、こう語りました。
「戦争は戦争として、終わったことはもう過去のことである。我々は仏教徒である。やられたらやり返す、憎しみを憎しみで返すだけでは、いつまでた っても戦争は終わらない。憎しみで返せば、憎しみが日本に生まれ、新たな憎しみの戦争が起きる。憎しみとして返すのでなく、優しさ慈愛で返せば平和になり、戦争が止んで元の平和になる。戦争は過去の歴史である。もう憎しみは忘れて、慈愛で返していこう」と対日賠償請求権の放棄を明らかにするとともに、日本を国際社会に一員として受け入れるように訴える演説を行った。
 この演説が、当時日本に厳しい措置を求めていた旧ソ連など一部の戦勝国を動かしたともいわれています。その後、国際復帰への道につながる象徴的な出来事と記録されています。
 彼の足跡は、今も日本国内に残っている。八王子の雲龍寺、鎌倉の大仏、長野の善光寺この三カ所には、彼の善行を感謝し、記念の顕彰碑や銅像が建立されています。
 日本もスリランカに中曽根総理大臣時代に、千台のベットがある病院を建てておられます。
 私感として、実に今の時代にこのような指導者がおられたらと思うばかりです。イラク、アフガニスタン、シリアなどの戦争をテレビ・新聞などで見ていると、まさしくやられたらやり返すの繰り返しばかりです。これが悲しい現実です、
 今、スリジャヤワルダさんの演説が全世界に響き渡ればと思うのは私だけではないと思います。合掌