2013年09月08日

梅鶯仏壮会報第108号・109号より

○正信偈を味わうR【最終回】

 弘経大士宗師等 
 拯済無辺極濁悪
 道俗時衆共同心
 唯可信斯高僧説

 『お釈迦様のお説きになったお経(浄土三部経)の正意を広められた「大士」や「宗師」と呼ばれる七高僧の方々が、はかり知れない極めて汚濁と罪悪に満ちみちた私たちを救ってくれます。出家した人も在家の人も、また、どの時代の人 々であっても、共に心を同じにして、ただただこれらの高僧方の教えを信じるだけであります』

○締めくくりの偈(うた)
 いよいよ正信偈120句の最後4句となりました。
 この最後の4句は「結勧偈」と呼ばれます。
 「結勧偈」とは本文を締めくくり(結)ながら、同時に、人びとにこれを信ぜよと勧める文のことです。
 すなわち、初めの2句には、七高僧様方が現れて、本願念仏の教えを説き広め、私たち衆生を救済して下さることが述べられており、後の2句には、その高僧の方々の教えを信じて、本願の世界に帰入し、お念仏を喜ぶ身となりまし ょうと、お勧め下さるのです。

○正信偈を貫く味わい
 正信偈が大きく三つに区分けされることは最初(会報8号)にお話しました。
 その第一段は最初の2句で帰敬序と呼び、次の42句は第二段でお釈迦様の教えをもとに詠われ、そして最後の第三段が七高僧の教えに基づき悦びを詠われたものでした。
 その意味で、最後の4句は第三段の七高僧を締めくくる讃偈であると言えますが、その悦びは、とりもなおさず弥陀本願のお念仏の悦びに他なりませんから、最後の4句は正信偈全体の締めくくりの讃歌であるとも言えるのです。
 すなわち正信偈の120句は、弥陀・釈迦・七高僧の順に詠まれてきましたが、それは一貫して私たちを必ず救うと誓ってくださる、弥陀の本願を讃歌する悦びの詩であり、その意味で、阿弥陀さまとお釈迦様は一体であり、また阿弥陀様と七高僧様とも一体であるとの味わいです。
 このことは浄土真宗としてはとても大事なことで、親鸞様は歎異抄の中で『弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず。仏説まことにおはしまさば、善導の御釈虚言したもうべからず。善導の御釈まことならば、法然のおほせそらごとならんや。法然のおほせまことならば、親鸞がまふすむね、またもてむなしかるべからずさふらふ歟。詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし(阿弥陀様の本願がまことであるからお釈迦様のお説教や七高僧様方の教えは誠であり、親鸞の申すことも虚しくない。私親鸞の信心とはこのようなものである)」と、明快に述べておられます。
 したがって、最後の4句はすべてを締めくくる重要な句でもありますから、もう少し詳しく味わいたいと思います。

○拯済無辺極濁悪
 「無辺の極濁悪を拯済したもう」の句ですが、これは「はかり知れない極めて汚濁と罪悪に満ちみちた私たちを救ってくれます」と意訳しました。
 まず、「極濁悪」ということですが、仏教では末法の時代を五つの濁った状態として「五濁悪世」と呼びます。
 時代の汚れ「劫濁」、人々が誤った思想・見解をもつ「見濁」、煩悩が盛んに起こる「煩悩濁」、心身が弱り苦しみが多くなる「衆生濁」、寿命が次第に短くなる「寿命濁」の五つの濁です。
 「極濁悪」とは随分ひどい言い方に思えますが、よくよくこの五濁悪世を省みれば、けっして人ごとではなく、自分自身のことであることに気付かされます。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 「極濁悪」とは、けっして人ごとではなく自分自身のことでした。
 浄土教では人間自身をつきつめて、「罪悪生死の凡夫」とか「極重悪人」等と呼び、親鸞聖人でさえ、自身を「愚禿」と呼び、「いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし(仏に成るどのような修行も遂げられない私は、地獄が定まった行き場所です)」と慟哭されています。
 そのような私であるからこそ、私達が救われる道は南無阿弥陀仏のみ教えしかなく、そのために七高僧様方が、本願念仏の道を伝え続けて下さったのであります。
 すなわち、「拯済したもう」ということなのです。
 「拯済」とは、救うということですが、「拯」はおぼれるものを助けるという意味で、「済」は渡ることのできないものを渡してやるという意味です。
 凡夫の世界から仏様の世界を見れば、「難度海」と呼ばれる到底渡ることの出来ない果てしなく底知れない海が広がっています。
 その海を南無阿弥陀仏の大船に乗って、溺れることなく渡しきって頂くのであります。

 道俗時衆共同心
 唯可信斯高僧説

 最後の2句「道俗時衆は共に同心して、唯だ斯の高僧の説を信ずべし」と読みますが、これは「出家した人も在家の人も、またどの時代の人々であっても、共に心を同じくして、ただただこれらの高僧方の教えを信じるだけであります」と意訳しました。
 まず「道俗時衆」とは、「どのような人でも、どの時代の人でも」ということで、すなわち「一人として例外なく」という意味になります。
 つまり、阿弥陀様の本願は「一切の衆生が救われなければ覚りを得ない」としての誓いであり、お念仏の教えは、すべての人々が救いの対象であるということです。
 このように誓って下さる神仏は他にはなく、大変重要なことなのです。
 なぜならば、だからこそこの私も救われるということになるからです。が、自ら編み出した教えであるとの自認からです。
 それとまったく対照的なのが親鸞聖人なのです。
 親鸞聖人は、けっして「わが教えを信ぜよ」とは仰いません。
 そして最後に、「共同心 唯可信斯高僧説」、「心を同じくして、高僧方の説を信じましょう」との親鸞聖人の呼びかけで締めくくられるのですが、この呼びかけが実に親鸞聖人らしいのです。

○聞法者としての親鸞聖人
 親鸞聖人と同じ鎌倉時代の世に出られた方に日蓮聖人がおられます。
 日蓮聖人は「法華経の行者」であることを自認し、社会に自らの存在を誇示して華々しく活動し「われ日本の柱とならむ、われ日本の眼目とならむ」といわれたそうです。
 自らを開祖、宗祖と名乗る方達は、往々にしてそのような自己顕示をなされます。
 しかし親鸞聖人は、自らがいつでも聞法者の立場に立ち、一人の念仏者、煩悩具足の一衆生として、七高僧の教えに導かれて弥陀御本願の救いを悦ぶよりほかにないと領解されていました。
 私達は今でこそ、宗祖親鸞聖人と親しみと報恩の念を持って呼びますが、親鸞聖人は「親鸞は弟子一人ももたずそうろう」とおっし ゃられたように、自らが教える立場にはけっして立たれなかったのであり、同じくご法義を悦ぶ御同朋、御同行として同目線に立ち続けて下さっているのです。
 したがって、親鸞聖人が報恩謝徳のためにつくられた正信偈ですが、それは同時にこの私の悦びの偈(うた)そのものでもあるのです。 

例会住職法話より

2013年03月02日

梅鶯仏壮会報第104号・105号より

○正信偈を味わうQ

 いよいよ七高僧最後の法然上人となりました。
 法然上人は、親鸞聖人が直接に師事され、大きな影響を受けられました。
 平安末期に岡山県の美作(みまさか)という地で、豪族武士の一人子として生まれ、幼名は勢至丸と名付けられました。
 九歳の時に、父の漆間時国が逆恨みから夜討ちをかけられ、臨終の際「決して仇を討とうと思うな。それよりも僧侶となって仏道に励み、私の菩提をとぶらって、自分もまた仏と成りなさい」と諭されました。
 これはお釈迦様の「怨みは、怨みを捨てるところにやむ」という説法によるものだと考えられますが、この父上の言葉が勢至丸を、後に法然坊源空上人と讃えられる人に変えたのです。

○智慧第一の法然坊
 仏教を学び始めた勢至丸は非凡な才覚を表して、十三歳で当時の最高学府であった比叡山に入り、二十五年間に渡って学ばれ、一切経と呼ばれるあらゆる経典を集めた膨大なお経を5回も読まれたと言われます。
 後に、「智慧第一の法然房」と呼ばれるようになるのですが、こんなエピソードが残されています。
 ある時、念仏門を説き始めた法然上人をこころよく思わない比叡山の学僧が、法然上人に論争を仕掛けて詰め寄るのですが、あまりの愚問に答えようがなく、上人はただ微笑されて黙ってしまわれました。
 その僧は叡山に帰って、師匠である学僧に「法然坊は私の指摘に返事ができなかった」と得意げに報告したところ、その師匠は「それは、話しても無駄な相手とみられたからだ。法然は天台の学問を究めた上で、仏教各宗派の学問もすべて修学し、智慧深遠な人物です。返答できなくて口をつぐんでしまったなどと考えたら大間違いですぞ」と諭されたそうです。

○善導の導き
 法然上人存命の平安から鎌倉にかけての時代は、大飢饉や戦渦の連続で、まさに「餓鬼」と「修羅」の世界が現実に展開されていた時代です。
 そんな中で仏教の世界でも、僧侶達が民衆とは遠くかけ離れた存在となり、徒党を組んで権力闘争に明け暮れる始末でした。
 法然上人はその仏教界を「すでに戒定慧の三学(仏教の基本)の器にあらず」と嘆き悲しまれましたが、その悲嘆の中で、善導大師の「観経疏」というお経の中のお念仏の世界に出会って、目からうろこが落ち、ただただ本願のありがたさに感涙されたといわれています。
 法然上人は「偏依善導(ひとえに善導による)」と仰られるほど、徹底して善導大師よって念仏往生を確かなものにされたのです。
 その念仏往生をまとめられた有名な書物が『選択本願念仏集』です。
 法然上人は比叡山を下りて、東山大谷の地に移り住み、八十歳で往生されるまで約四十年間、晩年の流罪の時を除いて、様々な多くの人々に本願念仏の道を広め続けられました。
 それまで、特定の人だけの仏教が、庶民中心の在家仏教になったのです。

○濁世を照らす灯火
  本師源空明仏教
  憐愍善悪凡夫人
  真宗教証興片州
  選択本願弘悪世

 『私の師である源空上人は、仏教に明らかな方であり、善人悪人の区別なく、すべての人を憐れみ悲しんで、浄土真宗の教えを日本の国に興され、弥陀本願による念仏往生の道を選びとって凡夫の世に弘めて下さいました』
 末法の世で人々が救われる教えは本願にしか無いと言うことで、法然上人によって示された「すべてのものが往生できる念仏往生」の教えは、まさに世の中を照らす灯火となったと悦ばれています。

 法然上人は、「ひたすら仏の名を称えなさい。そうすれば必ずお浄土に往生できます。なぜならそれが阿弥陀様の本願なのだから」と、如来本願の原点に立ち返られました。
 この念仏往生の教えは、濁世に苦しむ人々の灯火となりました。
 ところが当時の仏教界では大問題だったのです。
 なぜならばそれは、当時の主流であった僧侶のための出家仏教が否定されることになるからです。
 あの日蓮聖人も「立正安国論」のなかで、「法然というものあり、選択集を作る。一代の聖経を破して、あまねく十方の衆生を迷わす」といってはげしく批判しています。
 ただし一方で、「日本国みな一同に法然坊の弟子と見えけり。この五十年が間、一天四海一人もなく法然が弟子となる」と、その影響力も認めざるを得なかったのです。
 そこで比叡山や南都(奈良)の僧徒が、一斉に法然攻撃に立ち上がりました。

○「承元の法難」 
 彼らに激しく念仏停止を訴えられた朝廷は、とうとう念仏停止を発令し、法然上人を始め、主だったものを死罪・流罪に決定しました。
 法然は四国に配流となりました。ちなみに親鸞聖人も越後に流罪となり、これが「承元の法難」と呼ばれるものです。
 けれども法然上人は屈することなく、「流罪はむしろ私にとって幸せである。かねてから辺鄙な地方に赴いて、様々な人達に念仏をすすめたいと考えていたけれど、機会が無く残念に思っていた。それが実現できるこの度の流罪はむしろ朝廷の恩として喜びたい」と仰ったそうです。

○法然と親鸞の絆
 ここで少し法然上人と親鸞聖人との絆に触れます。
 親鸞聖人もまた、二十九歳の時に挫折の中で比叡山を下りて六角堂に百日間参籠され、聖徳太子から法然上人の話を聞くように夢の中で勧められ、百日間休むこと無く法然上人の元へ通い続けて教えを受けられ、念仏の道に入られました。
 親鸞聖人は和讃で、「本師源空いまさずば このたびむなしくすぎなまし」と詠われていますが、法然上人が「偏依善導」と仰られたと同じように、親鸞聖人にとっても法然上人はいのちの親で、その傾倒の深さは計り知れません。
 法然上人が、入門して日の浅い親鸞に「選択本願念仏集」を書写することを特に許されたことからも、お二人の深い深い絆を感じます。

○ただ信心にきわまりぬ
 還来生死輪転家
 決以疑情為所止
 速入寂静無為楽
 必以信心為能入

 『生まれ変わり死に変わり転々とする迷いの世界にもどってしまうのは、間違いなく本願を疑うからです。速やかにさとりの世界に入ることとは、必ず信心をもって入ることができるのです』
 念仏往生の教えは、自力の道を捨て去り、信心一つで悟りを得ることができるのであり、それを疑うことから迷いの世界に止まるのだと説きます。
 ここが聖道門と浄土門との大きな違いであり、重要なところであります。
 私たちは、煩悩があるからこそ生きられるともいえます。つまり食べることも眠ることも、人を愛し子供を育てることもすべて煩悩なのです。
 したがって、もしも聖道門の道しかないのであれば私たちの救いは永遠に閉ざされることとなります。
 そのような私たちだからこそ、如来の慈悲が本願の念仏となって、私たちに働きかけて下さるのです。その上は如来にすべてを任せることであり、如来を疑う私の心のみがその救いを妨げる唯一の障りであると詠われるのです。

一月例会住職法話より

梅鶯仏壮会報第100号・101号より

正信偈を味わうP

 七高僧もいよいよ日本のお二方となり、最初は源信和尚です。
 仏教が日本へ伝来してきた最初の頃は、仏教そのものよりも、目新しい外国からの文化としての仏教文化の方に、人々の関心が向けられていたのではないかと思われます。
 仏教の本来的な教えを浸透させる大きな役割を最初に果たされたのは聖徳太子です。
 そして仏教の中で浄土教が本格的に日本の世に示されたのは、源信和尚の『往生要集』によってです。
 日本への仏教伝来が538年で、源信和尚の生まれが942年ですから、実に400年以上経ってからということになります。

○『往生要集』の偉大さ
 その『往生要集』は、上中下三巻におよぶ膨大な書で、のちに法然上人もこの書に大きな影響を受けられ、
また親鸞聖人も若かりし時の名前の「善信」の一字を源信から頂かれたほどで、日本浄土教の歴史上、多大な貢献をなされました。
 また、社会的・文化的にも大きな影響を与え、宇治平等院の鳳凰堂の造営や、清少納言の「枕草子」や紫式部の「源氏物語」にも往生要集や源信和尚のことが出てきます。
 さらには日本だけではなく、『往生要集』はのちに中国にも渡り、多くの人々に影響を与え、「南無日本教主源信大師」と称されたほどです。
 ところが一方では、『往生要集』といえば地獄の話が書かれた本、さらにはそのことから、単に勧善懲悪(悪い行いをたしなめる)が説かれた書物と誤解されてきました。それは何故でしょうか?
 『往生要集』は、申し上げるまでもなく往生浄土が説かれた書物なのですが、最初の導入部分で、私達に早くこの世を離れたいと思わさせるために、地獄・餓鬼・畜生等の六道世界をこと細かに描写しています。ところがその中の地獄の描写があまりにもなまなましく、読む人に大きな衝撃を与え、やがて地獄絵や餓鬼草紙として描かれるようになり有名になったため、そのような誤解が生じたのです。

○源信和尚とお母さん
 源信和尚の生まれは現在の奈良県、大和の国です。文化的で美しい自然に囲まれた地です。
 幼い頃から大変に智慧が優れ、非凡な少年で、当時日本の最高学府であった比叡山で早くから学問をされました。
 予想通り優れた才能を発揮して、またたくまに若くして高僧と呼ばれるようになられましたが、その影には、優しさの中に本当のきびしさを兼ね備えたお母さんの存在があり、こんなエピソードが残っています。
 わずか15歳で、当時の天皇の前で「称讃浄土教」というお経の講義をすることになりました。これは大変な栄誉です。
 天皇は講義の内容に大層感心をされ、すぐに『僧都』という高い位の称号を与え、沢山の褒美を贈られました。
 そこで源信和尚は、田舎で一人暮らしの母親に喜んでもらおうと、褒美の品を送られたのです。
 ところが母親からすぐにその品が送り返され、このような和歌が添えられてました。
   後の世を 渡す橋とぞ 思いしに
   世渡る 僧となるぞ悲しき
『人々を仏の世界に導く僧になってくれると思っていたのに、金品や名誉を喜ぶ僧侶になっていることに、母は悲しいです』
 源信和尚はすぐに思い直して、いよいよ仏道に励まれ、やがて日本の浄土教のもとを築かれたのです。
 母の臨終において、枕元でお念仏の功徳を説き、母は念仏を唱えつつお浄土に旅立たれたそうです。
 源信は母に導かれて仏道に入り、母はわが子源信によって浄土往生に導かれたのです。

○真の愛情のきびしさ
 源信和尚にはこんなエピソードもあります。
 源信和尚が庭で草を食べている鹿を追い払ったのを見て、弟子が「なぜ無慈悲なことを」と聞いた時、「鹿が人に馴れれば、やがて人里で討ち取られてしまう」と応えたそうです。
 まことの慈悲や優しさとは「痛みが伴うものだ」ということです。これは前号で述べた愛し子からの贈り物を突き返した母のエピソ ードとも共通します。
 親が子供に欲する物を与えるだけが愛情ではありません。子供に掛ける真の愛情には厳しさや、時には痛みが伴うのです。
 物質中心主義の現代社会が陥りやすいあやまちのように思えます。

○あらゆるお経から
  源信広開一代教
  偏帰安養勧一切

『源信和尚は広く仏教全般にわたる教えを学ばれた上で、ひとえにお浄土の教えに帰依し、あらゆる人々に勧められた。』
 源信和尚はもともと天台仏教(聖道自力門)を学ばれた方ですが、最終的にたどり着かれたのが念仏往生の道でありました。
 『往生要集』は、お釈迦様の説かれたお経などから引用された数が九百五十以上もあるといわれます。
 これだけでもいかにあらゆるお経を結集して、浄土往生の道にたどり着かれたのかがうかがわれます。

○自力と他力
  専雑執心判浅深
  報化二土正弁立

『本願を信じて念仏を称える「専修」の心と、自力の行を頼って往生を願う「雑修」の心とでは、どちらが浅いか深いかを判別し、専修の人が往生する浄土と、雑修の人が往生する化土とを、はっきりと分けて示されました』
 「専修」とはまさしく弥陀本願により間違いなく浄土に往生すると信じて、ただただ報恩のお念仏を称えることで、「雑修」とはお百度参りや写経をしたり、神や仏に祈願することで救われようとする心、これは、阿弥陀様の本願を疑う心のあらわれであり、真実のお浄土には往生することが出来ないと説かれ、すべての者に専修念仏を勧められたのです。

○仏はつねに照らします
  極重悪人唯称仏
  我亦在彼摂取中
  煩悩障眼雖不見
  大悲無倦常照我

『極めて重い罪をつくっている私たちは、ただ仏の名を呼ぶだけで阿弥陀仏の摂取の中にいるのです。自らの煩悩によって眼がさえぎられて阿弥陀様を見ることができないが、阿弥陀様の方は止むことなく常に私を照らし続けてくださっています』
 聡明な源信和尚が、自らを極重悪人と認め、その自分が救われるのは、ただ南無阿弥陀仏のみ名を称えるだけだと領解され、往生要集の中で胸に響く言葉として述べられました。
 それを親鸞聖人が高らかに詠み上げられたのがこの4句です。
 特に最後の2句「まどいの眼には見えねども、ほとけはつねに照らすなり。」(意訳版)は、私自身もそうですが、どれほど多くの方に感動と歓喜を与えてきたことでしょうか。
 阿弥陀様と私の関係は、よく親と子の関係に喩えられます。
 子供の面倒を見るだけならば、他人でも代わることができます。
 子を思う本当の親の心とは、言葉や行動ではあらわすことのできない、ひたすら子供の幸せを願う心でし ょう。
 悲しむ子供のそばで、黙って泣きながら手を取り、共に涙を流すことのできる心です。
 そんなとき子供は「おかあさん」と親の名を呼びます。つまりそれが「南無阿弥陀仏」と阿弥陀様の名を呼ぶ私のお念仏なのです。

7月例会住職法話より

2012年08月23日

梅鶯仏壮会報第98号・99号より

正信偈を味わうO

 「ぜんど〜、どくみょ〜」 正信偈の途中で、ひときわ音階が高くなります。
 「なぜ善導さまのところだけ?」と思われたことはありませんか?
 七高僧様はすべて、浄土真宗では大切な方ばかりなのですが、法然上人が「偏依善導一師」(ひとえに善導さまによって)」と言われたほど、日本における浄土教では、善導さまを抜きに語ることができないのです。
 その善導大師様は西暦613年、中国随の時代に、現在の山東省で生まれられました。
 日本では聖徳太子が遣隋使を派遣された頃です。
 善導大師は幼くして出家し仏教を学ばれましたが、20歳前後に、前回お話しした玄中寺の道綽禅師を訪ねて専修念仏の教えに導かれます。
 ちなみに七高僧の中で、道綽禅師と善導大師のお二人のみが同時代で重なっておられます。
 善導大師は、人々への教化のために、毎日お念仏を数万回となえ、生涯を通じて「阿弥陀経」を十万巻写経し、「浄土変相図」というお浄土の絵を三百余幅描かれ、広大な範囲で多くの人々を教化されたと言われています。

 善導独明仏正意
「善導大師は、当時の浄土教に対する誤った考えをただして、ただ一人、釈尊の正しいおこころを明らかにされました」

○善導様のすごさ
 それではなぜ、善導大師が一段声を高くするほど讃えられるのでしょうか。
 それは、当時の間違った浄土教の解釈に対して、敢然と正しい解釈を示し抜かれたからなんです。
 善導大師の時代は天災や戦乱が相次ぎ、人々は末法の世であることに嘆き悲しんでいました。
 そのような民衆に、お釈迦様が浄土往生の教えを説かれた「観無量寿経」がもてはやされ、当時の高名な仏教学者達がそろってその解説書を書かれました。
 ところが、その方々の解釈は、下等な凡夫は真のお浄土へは往生できないとするものでした。
 それに対して善導大師は、その解釈はお釈尊の深いこころを読み取っていないもので、すべての凡夫が浄土往生できる方法を説いているのが「観無量寿経」(観経)であることを明確に示されたのです。

○お釈迦様の本意 
 「観経」というお経は、インドのマガダ国の王舎城というお城の中で繰り広げられる悲しくて痛ましい王家の悲劇を舞台として、嘆き悲しむ人々、特に王妃であった韋提希夫人を救うために、往生浄土の教えをお釈迦
様が説かれたお経です。
 そこには「定善」「散善」と大きく二つの門があり、優れた人の順に浄土へ往生する方法が説かれており、一番最後に「下品下生」として、どのような方法でも浄土へ往生することのできない五逆・十悪の罪人が、称名念仏一つで救われる道が説かれています。

○常識をくつがえす 
 一般的には、優れた順に救われると考えるのが常識であり、当時の仏教学者達も全員そのように考え、「下品下生」の道は、単にお釈迦様が方便として説かれたのだと考えました。
 ところが善導様は、「お釈迦様の本当の心は、衆生が念仏を称えて往生することをすすめているのだ」と見抜かれ、今までの常識的な立場をひっくり返して、一声の称名念仏こそが、あらゆる営みにまさる往生の道であると、人々に勧められたのです。
 月を指す指だけを見ていたのでは、肝心の月に気づけません。お経も単に文字だけにとらわれていたら、真実の意図が理解できないのです。

○真実を主張する勇気
 他の人達の中で、自分一人が異なった意見を言うには勇気が必要です。
 それが人間のいのちや生き方に関わることならば、単に勇気だけでなく命がけとなります。
 例えば、「天動説」が常識とされた時代に、「地動説」を正しいと信じながらもニコラウス・コペルニクスは迫害を恐れて発表をためらい、その後それを唱えたジョルダーノ・ブルーノは火刑に処され、ガリレオ ・ガリレイも迫害を受けました。
 また仏教が権力と結びつき、貴族を始めとする上級社会のためにあると考えられていた時代に、法然上人や親鸞聖人が、一般民衆や罪人でさえも、ただ念仏のみで救われると説き、弾圧を受け流罪となったことは承知の通りです。
 善導大師様もいのちがけの教化であったことが容易に想像ができます。
 善導様がこのような強い信念を持って真実を見抜かれたのは、常にお釈迦様と一対一の関係で向かわれていたからではないでしょうか。
 つまり、王舎城の悲劇のヒロイン韋提希夫人の中に自己を見出され、観無量寿経は善導様ご自身のために説き出された経典であったと受け止められたのです。
 そのような見方から、やはり凡夫である自身には、最後に残された念仏の道こそが、如来から与えられた救いの道であったということです。

 矜哀定散与逆悪
 光明名号顕因縁

 『善人も悪人も全てが阿弥陀様から見れば、ともに哀れむ救いの対象であるとして、名号が往生の因であり、阿弥陀様のはたらきが縁であることをあきらかにされた』

 ここで、因と縁が出てきますが、仏教では直接原因を因、間接原因を縁といいます。
 これはちょうど「種」と「太陽や水」との関係のように、花が咲く直接の原因は種ですが、けれど種を蒔いただけでは花は咲かず太陽や水の働きがなければなりません。それが縁です。
 ただし、この因と縁はけっして別のものではなく、種も太陽も水も全てが花が咲いた原因であり縁でもあります。
 同じように、阿弥陀様の呼び声が私に届き、南無阿弥陀仏の名号の働きによって往生するのであり、全て私が救われるための因であり縁であると味わえます。

 開入本願大智海
 行者正受金剛心
 慶喜一念相応後
 与韋提等獲三忍
 即証法性之常楽

 「大海のように広い本願の世界に生きる身となった念仏者は金剛石のようにこわれることのない信心が恵まれ、往生間違いなしという喜びが生じ、韋提希夫人と同じ徳がそなわり、やがて浄土に生まれ、ゆるぎない楽しみを悟ることができる」

 親鸞聖人は、阿弥陀仏の智恵の広さと深さとをよく海にたとえておられます。
 私たちは本願の大海に流れ込めば、みな一味となって浄土往生に迎え入れられるということです。
 そしてその信心を、なにものにも壊されることがない金剛石にたとえ、最後に韋提希夫人と同じように三忍の徳がそなわり、やがて浄土に生まれて、常にゆるぐことのない楽しみを悟ることができる、と詠われますが、善導大師が悲劇の韋提希夫人の中に自己を見出されたと同じように、親鸞聖人も観無量寿経はこの私のために説き出された経典であったと悦ばれ詠われるのです。

 5月例会より

2012年04月17日

梅鶯仏壮会報第94号・第95号より

○正信偈を味わうN

 第四祖道綽禅師(中国)の生まれは562年で、日本の聖徳太子とほぼ同年代の方です。

○道綽禅師お念仏への道
 最初に道綽禅師の生涯を訪ねますと、14歳の時に出家して仏教を学ばれるのですが、30歳の頃、悟りを得るためには実践の仏教でなければならないと思い立ち、厳しい戒律と禅定の道に入られました。
 ところが道綽禅師の心に疑念が湧いてきました。
 それは修行に励めばはげむほど、どこまでもついて離れぬ煩悩に思い悩み、もはや救われようのない自分自身を発見されたのです。
 そして48歳の時に、たまたま曇鸞大師が住まわれた玄中寺を訪れて、その境内にあった曇鸞大師の石文を読み、浄土往生の教えに深く感動し、心機一転、専ら阿弥陀仏を念ずる浄土教にたどり着かれたのです。
 それ以来玄中寺に留まって、84歳で亡くなるまで自ら念仏者となり、また広く人々にも念仏をすすめられ、玄中寺は参詣者であふれたといいます。

○重なり合う親鸞聖人 
 道綽禅師の歩まれた道を辿ると、親鸞聖人が生涯をかけてお念仏のみ教えにたどり着かれたお姿に重なり合ってきます。
 また、道綽禅師と曇鸞大師の出会いは直接の対面ではありませんが、親鸞聖人と法然上人との出会いを彷彿させます。
 親鸞聖人は、
  道綽決聖道難証
  唯明浄土可通入
  万善自力貶勤修
  円満徳号勧専称
 
 「道綽禅師は、自分の力で仏になる(聖道門)ことは難しいと結論し、ただお念仏によって悟りを得る(浄土門)ことのみが可能であると明らかにされ、あらゆる自力による修業をしりぞけて、徳が充ち満ちた南無阿弥陀仏の名号を称えることを勧められました」と、詠まれています。

○「聖道門」と「浄土門」
 お釈迦様の教えは、
@自ら修行を積んで煩悩を取り除き悟りを得る方法、
A阿弥陀如来の本願により浄土往生して悟りを得る方法、に大別できます。
 これを道綽禅師は「聖道門」と「浄土門」に分類され、主著「安楽集」の中で「仏教は聖道と浄土の二門に分けられるが、末法の時代にあっては、浄土教の他に、衆生救済の道はない」と明らかにされています。
 ただしここで大事なことは、聖道門は無意味だとして退けられているのではないことです。
 聖道門という自力修行によって仏となる教えは、もともとお釈迦様をはじめ仏弟子達が歩かれた道として尊い道であります。
 問題となるのはその時代であって、いかに尊い教えであっても、時代に適応し、その時代の人々に可能な教えでなければ意味がありません。
 仏教にはつぎのような時代観があります。
@解脱堅固の時代:仏滅後500年→仏道を修めて智慧を磨き、悟りを得る者も多い。
A禅定堅固の時代:つぎの500年(仏滅後1000年)→熱心に禅定にはげむ者はあっても、悟りを得ることは難しい。
B多聞堅固の時代:つぎの500年(仏滅後1500年)→人びとはただ仏法を聴聞するだけに終わって実践するものがなくなる。
C造寺堅固の時代:つぎの500年(仏滅後2000年)→寺や塔を建てることは建てても、仏法を聴聞するものさえなくなる。
D闘諍堅固の時代:つぎの500年(仏滅後2500年)→最後はもはや仏法が衰退し、闘争ばかりが繰り返される。
 いかがでしょうか。今の世はDに当たりますが、思わずうなずかざるを得ませんね。

 500年ごとの仏教の時代観を述べましたが、また『正法』『像法』『末法』の三時説という時代観もあります。
《正法の時代》仏滅後五百年の間→教(教え)と行(修行)と証(さとり)の三つが備わった時代。
《像法の時代》正法後の千年間→教と行があっても証を得る者がない時代。
《末法の時代》像法後の一万年→ただ教えだけが残る時代。

○末法の時代 いかがでしょうか。今の私たちの時代は「闘諍堅固の時代」と呼ばれ、仏法が衰退し闘争ばかりが繰り返される「末法の時代」に当たるのですが、現実を見ると思わずうなずかざるを得ません。
 道綽禅師の時代も、天災や飢餓が相次ぎ、戦争が絶えることなく、人々は苦しみにあえいでいました。
 道綽禅師が出家した翌年には道綽禅師の国が隣国に滅ぼされ、その上、仏教は厳しい弾圧を受け、仏像は壊され、教典は焼かれ、寺院の財産は国家に没収された時代です。
 その後、随から唐の時代へと変遷しますが、戦乱が続く動乱の時代の中で、道綽禅師は末法の悲しみを深く肌で感じ取られ、末法の時代に相応しい教えは浄土教より他にないと決せられたのです。

○すべての時代に通じる万能の教え
 それではなぜ、南無阿弥陀仏による救いのみが、正法・像法・末法のいかなる時代を問わずふさわしい教えなのでしょうか。
 それは、この私の力によるものではないからです。
 すべて阿弥陀様の本願力の働きによるものであるから、私の側の時代や場所にはとらわれないのです。
 もともと、自分の力ではとても仏になることなどできない私たちを見かねて、どうしても救わずにはおかれないと悲痛な誓願をたてられ、その救いの道を完成されて私たちに与えて頂いているのが如来の名号、南無阿弥陀仏なのです。
 親鸞聖人は、
  三不三信誨慇懃
  像末法滅同悲引
  一生造悪値弘誓
  至安養界証妙果

 「正しい本願他力の信心の道を丁寧に示し、像法・末法・滅法のいかなる時代であっても、同じように全ての衆生を大悲心をもって浄土へ引き寄せる下さる。たとえ私たちが一生の間、悪を造ったとしても、ひとたび阿弥陀さまの本願にであったならば、必ずお浄土に至って、悟りを得ることができる」と、詠われています。

○正しい信心とは
 道綽禅師は「安楽集」の中で、「池の氷にお湯を掛けて穴を空けても翌日になれば、そのお湯の分だけさらに盛り上がって氷となりふさがってしまう」という譬え話をされています。
 つまり、自力で「正しい信心」を得る(氷を溶かす)ことは難しいが、阿弥陀様の方で用意して下さっている他力の信心であれば、いかなる時代であってもお浄土へと引き寄せられることができるのです。

○一生悪をつくれども
 また同じく「悪臭を放つ伊蘭の林の中に、栴檀(せんだん)の木が芽生えれば、たちまち良香が満ちる」という譬え話や、「暗闇に光が差し込めば、暗闇の時間の永さには関係なく明るくなる」との譬え話により、絶対他力の弥陀ご本願は、私たちの煩悩がどれほど深かろうとも、また私の生き様がどのように罪深かろうとも、ひとたび阿弥陀様の本願に出会ったならば、必ず浄土に往生して、悟りを得ることができると述べて頂いているのです。
 親鸞聖人はそのことを悦びのうたにしておられます。

一月例会住職法話より

2012年01月22日

梅鶯仏教壮年会報 第91号・第92号より

○正信偈を味わうM

 龍樹・天親の二人はインドの方でしたが、今回の第三祖曇鸞大師からの三人は中国の方となります。
 親鸞聖人は曇鸞大師のことも、ことのほか重視されています。
 親鸞の「親」の字を天親菩薩から頂かれましたが、「鸞」の字は曇鸞大師から頂かれていることからも分かります。
 曇鸞大師は542年に67歳で亡くなられました。
 日本へ仏教が伝来したのが538年ですから、ほぼその頃で、聖徳太子さまが誕生される数十年前に当たります。

○南北国王が共に礼拝
 曇鸞大師は早くから仏教に心を寄せ、仏教学者として頭角を現してからは、知恵の優れていることが高大な中国の全土に知れわたったといわれます。
 特に多くの経典を集めた大集経という仏教全集の研究に、情熱を傾けられました。
 当時の中国は南北朝の時代ですが、北朝の魏の天子(国王)からは「神鸞」と称えられ、南朝の梁の国の天子からは「鸞菩薩」と敬慕され、二人の国王は朝夕つねに曇鸞大師のおられる方向に向かって礼拝をされたといわれます。
 権勢を誇る超大国の両国の国王が、ともに「気高く尊いお方」とあがめられたということは、曇鸞大師が学識や人格がきわだって優れておられたのみならず、人を引きつける素晴らしいお方であったことがうかがわれます。
 親鸞聖人は、

  本師曇鸞梁天子
  常向鸞処菩薩礼

 梁の天子が常に曇鸞さまの居られるところに向い、菩薩様と礼されました、と詠われています。
 ところが曇鸞大師は、「大集経」の研究の途中で病気になってしまわれたのです。
 そこで、やはりまず健康で長寿でなくてはならないと考え、不老長寿の法を求めて、はるか1200キロも離れた遠く梁の国に住んでいる、当時、道教の第一人者といわれた陶弘景を訪ねて、「集醮儀」という仙経十巻を授けられ、これを修業すれば長生きができ、研究を成し遂げることができるとよろこび、意気揚々と帰路に就かれたのです。
 そして魏の帝都洛陽まで帰ってきたところで、インドの菩提流支三蔵という学識高い偉大な僧と会見する機会を得て、「仏教の教えの中に、この中国の仙経に勝る長寿の法があるか」と尋ねられるのです。

○曇鸞様でも迷われた
 そうしたら菩提流支は、なにを馬鹿な事を言うかとばかりに愚かさを笑って大地につばを吐き、「たとい仙経を習っても、人は必ず死ななければならない。仏教は生死を超えて、永遠に生きる法を説いたもので、これこそほんとうの長生不死の教えである」と厳しく叱責し、浄土三部経の一つである「仏説観無量寿経」を授けるのです。
 さすがに非凡の器である曇鸞大師は、すぐさま迷いからさめ、苦労して入手した仙経をことごとく焼き捨てて、浄土の教えに帰依されたのです。
 それからは自力聖道の教えを一切捨てられて、浄土他力の教えに精進され、ひたすら民衆に念仏をすすめて弥陀浄土への往生をうながされたのです。

○煩悩のふかさ
 仏教は生老病死の迷いを超える教えでありながら、その偉大なる仏教学者の曇鸞大師でさえも、生老病死に囚われられたのです。
 たとえそれが仏道を究めたいと願われてのことではあったにせよ、人としての煩悩の深さを改めて感じざるを得ません。
 親鸞聖人は、

  三蔵流支授浄教
  梵焼仙経帰楽邦

 三蔵流支から浄土教を授かり、仙経を焼き捨てて、南無阿弥陀仏のみ教えに帰られた、と詠われてます。
 以下次号 仏壮7月例会より前号からのつづき
 親鸞聖人が、曇鸞大師を特に称えられるのは、天親菩薩の「浄土論」の註釈書である「往生論註」を顕されたことです。
 そこには、私達がお浄土に往生できるのは、阿弥陀様の本願力によるものだということが明らかにされています。
 親鸞聖人は、

  天親菩薩論註解
  報土因果顕誓願

 天親菩薩の「浄土論」の註釈書を著して、往生浄土は弥陀本願力によることを明らかにされました、と詠まれています。

○他力本願
 さて、曇鸞大師で特筆すべきことの一つに「他力」という用語を初めて用いられたことがあります。
 以来千五百年間、浄土教の用語として深く意味づけられてきましたが、「仏教用語の解説@(会報44号)」でも述べました通り、現在ではともすれば、「他力本願」を「他人の力をあてにする」として良くない意味で使われがちですが、本来の意味は「阿弥陀如来の本願による救いのはたらき」であり、曇鸞大師によって使われた言葉なのです。
 このことを親鸞聖人は教行信証に『他力というは如来の本願力なり』とはっきりと書かれています。
 また、曇鸞大師の教化の特色に、浄土門に「往相廻向」と「還相廻向」があることを示されたことがあります。
 これは、阿弥陀様の本願により、私たちが浄土に往生して仏となることを「往相」、すぐさま迷いの世界であるこの世へ還ってきて衆生を救うことを「還相」と呼び、そのどちらのはたらきも、すべて如来さまの方で用意して、ふり向けて下さっているはたらき(廻向)であるということです。

○往(ゆ)くも還(かえ)るも他力ぞと
 私は若い頃に、正信偈の意訳に「往くも還るも他力ぞと」とあるのを読みながら、なんでわざわざ幸せなお浄土へ往きながら、またこの世に還って来なければならないのかと疑問に思ったことがありました。
 阿弥陀様の本願は「あらゆるすべてのものを等しく救いたい」という「利他」の願いにより立てられたものです。
 したがって、もしも私が浄土に往生する「自利」だけで止まっていたならば、確かに阿弥陀様の本願により往生したとはいえないでしょう。
 自らがお浄土で仏となったならば、そこからが本当の活動の始まりで、さとりの世界を出て衆生救済(利他)へと向かうのです。
 浄土教がもし往相だけを説く教えで、還相を説かなければ、大乗仏教とはいえず、だからこそ、曇鸞大師は往還の二相を明らかにされたのです。
 親鸞聖人が歎異抄で「私は父母の孝養のために念仏したことはありません。なぜならば自分の力で救えるのならば念仏もしますが、念仏はそのようなものではありません。ただし、お念仏して浄土に往生したならば、何よりもまず縁のある人々を救います」と述べられていることをしみじみと味わいながら、最後の6句を詠ませて頂きます。

  往還回向由他力
  正定之因唯信心
  惑染凡夫信心発
  証知生死即涅槃
  必至無量光明土
  諸有衆生皆普化


 お浄土へ生まれて仏になることも、お浄土から娑婆に帰ってきて衆生を救うことも、すべて如来様から差し向けられたはたらきであり、その要因はただ信心一つであります。まどいに染まっている私たちでも、他力の信心を頂けば、生死という迷いのまま、お浄土でさとりを得させて頂くのです。そして必ずお浄土に生まれれば、あらゆる人達を皆平等に救済するはたらきをすることになるのです。

7月例会より

梅鶯仏教壮年会報 第89号・第90号より

○正信偈を味わうL 

 七高僧の最初の龍樹菩薩様は「お釈迦様の本意が南無阿弥陀仏のみ教えにあった」ことを明らかにされました。
 そしてその龍樹菩薩様に次いで浄土の教えをひろめられたのが天親菩薩さまです。

○天親菩薩さま 
 天親菩薩さまは、西インドのガンダーラの出身で、日本の古墳時代(5世紀ころ)の方です。
 親鸞聖人は名前に「親」の字を頂かれたことからも分かるように、天親菩薩さまを浄土真宗の第二祖と仰ぎ、尊ばれました。
 その天親菩薩様は、浄土教だけでなく、いろんな思想信仰や学術に大きな影響を与えられました。
 正信偈で天親菩薩様について詠われているのは十二句あり、順に味わいたいと思います。

  天親菩薩造論説
  帰命無碍光如来

 この2句では、天親菩薩様が『浄土論』という書物で、『私はお釈迦様の仰せの通り、阿弥陀如来さまにすべてを任せて、お浄土に往生します』と告白されていることを、詠われています。
 天親菩薩様は、数多くの経典を学び、数多くの書物を著されて、仏教史上すぐれた足跡を残されました。
 特に、煩悩にまみれた凡夫が、どのようにして仏のさとりに至るかを探って、人間のこころの研究、「唯識」という学問を大成されて、後世の仏教学者に大きな影響を与えられました。

○最後はやはりお念仏
 けれども、ご自身が最後にたどり着かれたのはお念仏の世界で、浄土論の最初に『お釈迦様、私はただ一心に阿弥陀さまに帰依し、お浄土に生まれさせて頂くことを願います』と力強く告白され、あまねく人々に浄土往生を勧められたのです。

  依修多羅顕真実
  光闡横超大誓願

 この2句では、お釈迦様の説かれた仏説無量寿経により、南無阿弥陀仏の名号のはたらきを示し、絶対他力の第十八願のみ教えを明らかにされたことを詠っています。
 では何故に私達が救われるのは、お念仏のみ教えでしかあり得ないのか。
 そのことを天親菩薩は、お釈迦様の説かれた仏説無量寿経をもとに、南無阿弥陀仏の名号(真実)のはたらきとして詳しく示し、明らかにして下さっているのです。
 この阿弥陀様の絶対他力のはたらきを「横超の大誓願」と示されているのが特徴的ですが、この「横超」の意味は以前にも述べましたが、実に味わい深いものであり、今一度味わってみたいと思います。

○横一足飛びの世界
 ある一匹の虫が竹の中に閉じこめられました。
 虫には上へはい上がる習性があり、その虫もなんとか外に出ようと、上にある節を食い破るのですが、そこにはまた次の節があり、あいかわらず竹の中の世界でした。
 さらに上へ上へと節を食い破り、登っていくのですが、容易に竹の世界から抜け出ることはできません。
 ところがどうでしょう、あるときふと横から一筋の光が差し込まれ、その光に誘われるままに横へと進んだならば、一足飛びに外の世界へと超えることができました。
 虫にとっては、たてに進むのが道理にあった常識の世界なのですが、その道理では、はかり知ることのできなかった横に超える世界によって救われたのです。
 これが「横超」です。
 一つひとつの節を食い破り、たてに迷いの世界を超えようとするのが、自力聖道門の世界です。
 これに対して、阿弥陀さまの呼び声によって、横に一足飛びに迷いの世界を超えるのが、絶対他力の浄土真宗の世界であります。
   
  広由本願力回向
  為度群生彰一心

 この2句は、阿弥陀様の本願力の回向によって、あらゆるいのち(群生)が救われるのは、ただ信心一つ(一心)であることを、天親菩薩様が明らかにされたことを詠っています。

○絶対他力の救い
 仏教とは、「仏さまの教え」であるとともに「私が仏となるための教え」でもあります。
 そしてそれは、「この私一人が仏となる」だけではなく、「一切の衆生とともに救われていく」ことを願うところに、最大の仏教らしさがあります。
 このことを天親菩薩様は『浄土論』の中で、「あまねくもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん」と高らかに宣言されているのです。
 そして、老少・善悪に関係なく、すべてのものが等しく救われるのは、「信心一つの救いである」からだと示して下さっているのです。
 つまり、南無阿弥陀仏の名号には如来の一切の功徳がそなわっており、その南無阿弥陀仏にすべてをおまかせするという、「信心一つ」が往生の要因であると示されるのですが、さらにその信心も、けっして私の煩悩心で作り出すものではなく、如来の方から回向されたものであると、「絶対他力の救いの世界」を示して下さったのです。
 最後の6句ですが、これは大きくは6句でワンセットであり、如来の信心を得た者が、必然的に与えられる三種類の利益について天親菩薩様が述べておられることを、親鸞聖人が詠われています。

○三つの利益
 まず一つ目の利益は、

  帰入功徳大宝海
  必獲入大会衆数
 
 功徳の大宝海(南無阿弥陀仏)にすべてを任せ(帰入)れば、現世において必ず仏となれる仲間の数(大会衆数)に入ることができる、ということです。
 本年10月に、親鸞聖人750回大遠忌法要にバスで団体参拝します。
 当日、迎えのバスに仲間と乗り込み、いざ出発となります。
 乗った時点ではあくまでバスの中ですが、けれども必ずご本山に到着することのできる仲間入りとなるのです。
 阿弥陀様にすべてをおまかせする信心を頂いたときも、人間としての命があるかぎりはまだ凡夫のままですが、必ずさとりに至ることのできる仲間入りとなる利益が得られるのです。

  得至蓮華蔵世界
  即証真如法性身

 お浄土(蓮華蔵世界)に至れば、すぐさま阿弥陀さまと同体(真如法性身)の最高のさとりを得ることができる。
 やがて臨終を迎えお浄土に生まれたならば、即座に阿弥陀如来様と同じさとりを得ることができるというのが、二つ目の利益です。
 仏教は「仏の教え」とともに「仏と成る教え」でもあるのです。

  遊煩悩林現神通
  入生死園示応化

 さとりを得たならば、再び娑婆世界(煩悩林)で自由に迷いの衆生を救済するはたらき(神通)を得て、娑婆(生死園)に還って、迷える人達の状況に応じた救いの働き(応化)をすることができる。
 浄土真宗の真骨頂が、この三つ目の利益です。
 お浄土に生まれて阿弥陀様と同体のさとりを得たものは、再びこの娑婆世界に還ってきて、自由自在なはたらきで衆生をみちびき、仏道に向かわせることができるというのです。
 諸仏の究極の願いは、一切の衆生が救われていくことにあり、仏教が利他の宗教と言われる所以であります。
 煩悩の林と呼ばれるこの世の中を、縦横無尽に活動して回る姿を思い浮かべてみたいものであります。

5月例会より

2010年11月20日

梅鶯仏教壮年会報 第78号・第79号より

○正信偈を味わうK

 本日は龍樹菩薩様の、
  顕示難行陸路苦
  信楽易行水道楽
  憶念弥陀仏本願
  自然即時入必定
  唯能常称如来号
  応報大悲弘誓恩

の六句を味わいます。
 龍樹菩薩様は、お釈迦様が「きっといつの日にか必ず、私の教えを完全に理解して、その教えを世の中に正しく説いてくれる方が出てくるに違いない」と予言され、そしてその予言通りに通りに現れた方でした。
 その龍樹菩薩様は、悟りの道には「難行道(難しい道)」と「易行道(やさしい道)」との二つがあることを明らかにされたのが特徴です。

○有無の世界を超えて
 本日の6句の前に「悉能摧破有無見」とありましたが、龍樹菩薩様はまず、有るとか無いとかにこわることが迷いなのだと説かれました。
 ここに一輪の花があります。
 その花を見てほとんどの人がきれいだと感じるでしょうが、けれど生物学者は単に植物として観察するかもしれません。
 また、過去に懐かしい思い出をもつ人であれば、その花に思い出をよみがえらせながら見るでしょうが、逆に嫌な思い出に顔を曇らせる人も無いとは限りません。
 さらに、昨日と今日と明日とでは、その花の美しさも違ってきます。
 つまりどのながめ方であっても、それぞれのながめ方は一種の偏見に過ぎず、絶対に正しいという見方はないのです。
 同時に、どのながめ方も「無い」ということでは、けっしてないのです。
 固定的に見ること(有の見)も、その見方を全て否定すること(無の見)も正しくはないのです。
 一つの見方に固執することなく「あるがままを、あるがままにみる」ことが大切であり、特定の見方や考え方に固執することは「我執」であり、迷いの世界であると示されました。
 私達の争い事を見てもよく分かりますが、龍樹菩薩様の時代でも、そのような「有無の思想」による論争が、はびこっていたようです。
 そこで龍樹菩薩様は、お釈迦様が説かれた、「般若経」とか「華厳経」というお経により、有無のこだわりを超えた世界が悟りの世界で有ることを説き、同時に龍樹菩薩さまご自身が、「華厳経」によって、悟りの道を目指されたのです。

○自力難行の道
 「華厳経」による悟りの道とは「難行道」と呼ばれる、自力による苦行の道です。
  仏のさとりを得るためには、五十二の段階を経なければならないとされており、龍樹菩薩様は、その四十一段目に当たる「歓喜地」と呼ばれる位まで到達されたということです。
 「歓喜地」とはどのような段階なのかといいますと、五十二段階ある道のりは、その一段一段が非常に厳しくて、ちょっとでも油断したらすぐに下へと落ちてしまいます。
 私たちの生活でも分かりますが、どんなに良い習慣を身につけようとしても、ちょっと油断したらだめになってしまいます。
 いわんや厳しい修行の世界ならなおさらです。
 ところが、この四十一段目の歓喜地という位は、もう後戻りすることは絶対ないという、すごいところまで到達した位なのです。
 龍樹菩薩さまはそこまで到達されたということです。

○龍樹菩薩様の真骨頂
 ところが、龍樹菩薩様は次の四十二段階から、同じように自力修行を積んで、最後の悟りの世界まで到達されたのかといいますと、実はそうではないのです。
 ここからが大変重要なところです。
 きびしい難行の道によって、「歓喜地」と呼ばれる位まで到達された龍樹菩薩様でありましたが、肝腎の悟りまで到達する最後の道のりは、「般若経」にもとづくものでも「華厳経」によるものでもなく、「大乗無上の法」とよばれる法によって、仏さまとなられたのです。

○大乗無上の法
 その「大乗無上の法」とは、まさに南無阿弥陀仏のご本願であり、親鸞聖人は「宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽」と詠まれています。
 これだけのすぐれた菩薩さまですが、最初は「華厳経」によって、五十二段階の四十一段目まで到達されて、あと残された十一の階段を上るのは阿弥陀様の本願力によってお浄土に生まれ、仏と成られたのです。
 日常勤行としてよくお勤めする「十二礼(らいはいのうた)」は、龍樹菩薩さまが阿弥陀仏の徳を中心に、浄土の美しく尊いすがたをたたえ、その浄土に生まれるよろこびをともにしたいという願いをうたわれたものです。

○船路の旅のやすきかな
 そしてその龍樹菩薩さまの教えを、親鸞聖人が讃えられているのが、本日の六句です。
  顕示難行陸路苦
  信楽易行水道楽
  憶念弥陀仏本願
  自然即時入必定
  唯能常称如来号
  応報大悲弘誓恩

 意訳しますと、『自力修行で仏になる道は、けわしい山道をこえながら、陸の道を進むように、難行苦行の道であります。
 一方、本願他力によって仏になる道は、船に乗って海路を目的地まで運ばれて行くように、やさしい道であります。
 阿弥陀様のご本願を信ずれば、如来さまの大きなはたらきによって、即座に、必ずお浄土に生まれて仏となる身に定まるのです。したがってその後は、常にお念仏を称えて、如来大悲のご恩に報いるだけです」 という意味です。
 遠い目的地に向かって自分の力を信じて歩き続けることは立派なのですが、険しい山坂や激流の川を超えることは容易ではありません。足が悪くなれば一歩も進めません。
 けれども水の上を船に乗り目的地に向かうのであれば、乗る人の力は全く関係ありません。船の中でまわりの景色を眺めながら過ごせばよいのです。
 元気な人でも病弱な人でも、大人でも子供でも、男でも女でも、一切わけへだてなく、すべてを船にまかせきって目的地へと運ばれていくのです。
 陸路にたとえる難行道は自力修行であらゆる善根功徳を完璧に果たさなければならない苦難の道です。
 阿弥陀様の本願の船での易行道は、わがはからいは全く無用で、弥陀ご本願の一人働きにより調和のとれたさとりの世界へと落ち着かさせて頂くのです。

○念仏にまさるべき道無し
 このように龍樹菩薩は、仏になる道を二種類あると示されました。
 けれどここで大事なのは、その二つの道はどちらでもよいと示されたのではないことです。
 龍樹菩薩さまが自力修行の道を「難行道」と名付けられたのは、あくまで南無阿弥陀仏の「易行の道」をすすめるためだったのです。
 お念仏の道は、ただ易しいというだけでなく、あらゆる道に優れていて、すべての人が救われる唯一真実の道であると示されたのです。
 煩悩の世界から抜け出すことのできないこの私を見かねて「かならず救うぞ、まかせよ、たのめよ」と呼んで下さるのが阿弥陀仏であり、私達は、ただ「南無阿弥陀仏」と報恩感謝の道を歩むばかりと示されたのが、最後の
 「唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」
であります。

一月例会住職法話より

2009年11月17日

梅鶯仏教壮年会報第71号・72号より

○正信偈を味わうJ

 正信偈の「難中之難無過斯」までの前半部分は、お釈迦様の直接のお念仏の教え、すなわち「仏説無量寿経」にもとづく親鸞聖人の讃歌でありました。
 そしていよいよ今回からは後半部分に入ります。
 インドのお釈迦様の教えが、中国を経由して、はるか遠くの日本の親鸞聖人のところまで届くまでには、数知れない多くの人たちのおかげがあったことであります。
 特に親鸞聖人は、七人の方々を重視されて七高僧と呼び讃えられています。
 この七高僧の方々は、それぞれの国や時代で、お釈迦様のお念仏のみ教えを、間違いなく伝え示してこられたのであります。
 正信偈の後半は、その七高僧のみ教えにもとづく親鸞聖人の讃歌です。
 後半に入ってのまず最初の4句では、七高僧さますべてをまとめて讃歎されています。

印度西天之論家
中夏日域之高僧
顕大聖興世正意
 明如来本誓応機


 いつものように分かりやすく意訳しますと、「西の方の国インドの論家(これは龍樹菩薩と天親菩薩を指しています)、ついで中国の高僧(これは曇鸞大師と道綽禅師と善導大師の三師を指しています)、そして日本の高僧(これは源信僧都と源空・法然上人を指します)の方々、これら七人の高僧は、お釈迦様がこの世にお出になられた、本当の意味を明らかにされました。それは、阿弥陀如来の本願が、どんな人に対しても分け隔て無く応じることのできる教えであることを明らかにされたということであります」

○七高僧さま
七高僧さまとは、龍樹、天親、曇鸞、道綽、善導、源信、源空の七人ですが、お念仏を頂く真宗門徒にとっては馴染が深く、お説教などでもよく耳にします。
 お釈迦様は「八万四千の法」といわれるように、いろんなかたちで法を説かれましたが、本当にお説きになりたかったのは南無阿弥陀仏のご本願であり、その南無阿弥陀仏の教えは特別な人だけしか通用しないといった教えではなくて、あらゆる人に通用する教えであるこということは、すでに前半のところで味わってきました。
 そのどこでもだれにでも通じる教えであることを別の言い方ですれば、すべてのものが救われる教えはこの南無阿弥陀仏の教えでしかないということになります。
 そのことを身をもって示してこられたのが、まさに七高僧さまなので
あります。

○はるかな時間と空間を超え
 お釈迦様によって示された南無阿弥陀仏のみ教えが千数百年の時を超えて、インドから中国を経てはるか彼方の日本の親鸞聖人に至ったのでありますが、それは時代的にも、国や場所的にも大きな変化の流れの中にあったはずです。
 けれども、どのような歴史の流れの中にあっても、この七高僧の方々は、お釈迦様の真理の教えを確固たるものとして伝承されてきたのであります。
 もしもこの七高僧がおられなかったならば「私は弥陀の本願に出会う事はかなわなかったでしょうし、流転輪廻といわれる迷いの世界をいつまでもいつまでも迷い続けなければならなかったであろう」と、親鸞聖人は七高僧を讃えられているのです。
 このようにまず七高僧をまとめて讃歎された後で、次に七人の方々を順に讃歎されておられます。その最初が龍樹菩薩様です。

  釈迦如来楞伽山
  為衆告命南天竺
  龍樹大士出於世
  悉能摧破有無見
  宣説大乗無上法
  証歓喜地生安楽


 意訳しますと、「お釈迦様は楞伽山における大衆への説法で『南インドに龍樹大士という方がこの世に出られて、ことごとく迷いの心を打ち破って、すべての者が救われるこの上ない法を説き、南無阿弥陀仏のお浄土の世界を明らかにし、自らお浄土に往生されるであろう』と告げられました」という意味です。

○龍樹菩薩さま
 まず、龍樹菩薩とはどのような方かと言いますと、生存年代は明確でないのですが、お釈迦様が亡くなられてから七百年くらいたった二世紀半ばから三世紀半ばの南インドにお生まれになられた方です。
 この龍樹菩薩様は、バラモンという当時のインド社会では高い身分の、金持ちの家の長男として生まれられたそうで、生まれつき頭が良く、少年期・青年期には、あらゆる学問を究め、その名前はインド中に知れ渡ったということであります。
 ところが次第に、人間の愛欲や欲望の苦しみを深く感じて出家されるのです。
 そして大乗仏教、すなわち南無阿弥陀仏のみ教えに帰依して、当時の邪悪な間違った教えを鋭く打破されたという方であります。
 この龍樹菩薩様は、沢山の聖教を書かれたということで「千部の論師」というふうに称されていますし、また「八宗の祖師」、つまり龍樹菩薩様を宗祖として八つの宗教が開かれたともいわれ尊ばれています。
 そこで、普通は浄土の仏様の呼び名であります「菩薩」の名を授けられているのです。
 このような龍樹菩薩が、お釈迦様の後の世に出てこられると、お釈迦様自らが仰っておられるのです。いわゆる予言です。

○お釈迦様の予言
 話しは少しそれますが、現在、全国の地方紙が一斉に五木寛之さんの「親鸞」という小説が連載されています。
 その中で「真実の教えというものは危うさを伴うものだ」とよく出てきます。
 「教えに真実性があればあるほど危険性が伴う」ということであります。
 つまり、その教えによって真に救われる者もいるけれども、その教えの解釈を少しでも誤れば、とんでもない教えに展開する危険性もはらんでいるという事であります。
 たとえば、あらゆる煩悩を身にそなえている私こそが、阿弥陀様の救いの目当てであるという、いわゆる「悪人正機」の教えを、「本願のはたらきが不可思議であるから、自ら悪を犯す方がよい」とねじ曲げられる危険性をはらんでいるということです。
 けれど一方で、その真実性が高ければ高いほど、必ずその教えの真の理解者も現れるということです。
 そのことをお釈迦様が予告されたのです。
 つまりお釈迦様の悟られた真理を完全に理解され続ける事は難しいが、同時に自らが示す法が宇宙を貫く真理である限り、後世には必ず完全な理解者が出現すると考えられ、「龍樹大士出於世」という予言となったのでしょう。
 それでは、その龍樹菩薩様は、お釈迦様の真理の法をどのようなかたちで述べられたのでしょうか。
 それがつぎの6句で、釈尊の一代のご説法を、「難行道」と「易行道」との二つの悟りの道であるとして顕されました。次回例会で味わいます。

5月例会住職法話より

2009年06月20日

梅鶯仏教壮年会報 第67・68号より

正信偈を味わうI

 120の句でなるお正信偈は、大きく前半と後半に別れていて、前半は、お釈迦様の教えに基づきその悦びが詠まれており、後半はお釈迦様の教えを伝えて下さった七高僧の方々の教え(論釈)に基づき、その悦びが詠まれていることは、以前にもお話しを致しました。
 実は本日の4句で、前半の最後の部分になります。
 二年前から始めました『正信偈を味わう』も、「ようやくここまで来たのか」という思いと、「もうここまで来たのか」という両方の思いが交錯します。皆さんはいかがでしょうか。

  弥陀仏本願念仏
  邪見驕慢悪衆生
  信楽受持甚以難
  難中之難無過斯


 まず本日の4句を分かりやすく意訳しますと、「阿弥陀如来様のご本
願でありますお念仏のみ教えは、よこしまにしか見ようとしない邪見と呼ばれる人や、驕(おご)りたかぶりの強い驕慢な人達にとっては、それを信じて受けいれることは、はなはだ難しいことです。
 この難しさは他に比較するものがないほどに難しいものであります」というような意味になります。

○ちょっと話がちがう?
 少し思い出して欲しいのですが、前回までに味わってきた句では、お釈迦様の説かれた阿弥陀さまの教えは、あらゆる人が、みなひとしく救われることのできる法であると述べられてきました。
 「本願を信じて念仏もうせ」ということだけであって、ただそのこと一つで救われるというのですから、これほどやさしい教えはないはずです。ですから「易行道」とも呼ばれます。
 ところが、かんじんの最後のところにきて、たとえ邪見や驕慢の人達
とはいえ、信心を受け容れることが難しいとあるのです。しかもその難しさは「これにすぎたるはなし」というのです。
 なにか裏切られたような気がしませんか?いささか戸惑いをおぼえます。
 どうして、本願を信じて念仏申すことがそれほどむずかしいというのでしょうか。

○医者と患者の関係
 以前あるお医者さんのこんな話しを聞いたことがあります。
 「病気を治すために必要なことは、まず医者が患者から信頼されることです。患者が医者を疑っている間は、けっしてよい治療なんかできません」と。
 いわゆる医者と患者の信頼関係であり、病人が医者の言葉をよこしまに聞いている間はだめなのです。
 けれどももっと難しいのは、本当は病気なのに「自分は病気なんかじゃない」と傲慢に信じ込んでいる人ではないでしょうか。
 まずこの人は医者の所へは来ませんから、救いようがありません。

○救われようのない人達
 さとりを開かれたお釈迦様のことばを、自分勝手によこしまに聞いている間は、本当の阿弥陀様の願いは通じてきません。これが「邪見」と呼ばれる人です。
 「仏教は古い教えで、科学の時代には通用しない」「宗教を必要とするのは弱い人間だ」などと知識人ぶって言う人がいますが、これは自分の迷いの姿に気付かないおごりの姿です。この人も阿弥陀様の願いは聞こえてきません。
 これが「驕慢」と呼ばれる人です。
 特に「驕慢」はあらゆる悪の根源だとも、経典には書かれています。
 このように見ますと、「なるほどそんな人達まで救うのは無理だよね」なんて思います。
 けれどもはたして、救われようのない「そんな人達」とは、一体だ
れのことなのでしょうか。

○才市さんの慟哭
 妙高人浅原才市さんの詩に「・・・あさまし あさまし 邪見きょうまんあくさいち 邪見きょうまんあくさいち・・・」というのがあります。
 妙高人(深くお念仏を悦ばれる人のこと)と呼ばれる浅原才市さんでさえ、自分の事を「邪見驕慢の悪才市」と泣き叫んでおられるのです。
 いわんやこの私などは、「お浄土に生まれる」などとはいまだに心底から思うことができず、日暮らしを振り返えればとても仏法を聞いている者とは思えない恥ずかしさです。
 まさに「邪見」「驕慢」そのものです。
 もしもその邪見や驕慢の姿勢を、「捨てなければならない」「捨てなければ信心を受け容れることができない」というのであれば、それは難行苦行の道であり、とても私にできるはずはありません。
 またそれは、絶対他力の法としてもそぐわないともいえます。
 けれどもお釈迦様は、そのようには云ってはおられないのです。

○阿弥陀さまの願い
 お釈迦様が真に求められるのは、そんな自己中心的で、自分の考えをいつも正しいとする考え方に気付いて、そのような自分の姿を悲しむ立場に立ってくれよということなのです。
 妙高人浅原才市さんが、自分の事を「邪見驕慢の悪才市」と呼び、邪見で驕慢な自分を、あさましいと懺悔されているのは、すでに邪見・驕慢に気付き、自分の姿を悲しんでいる姿なのでしょう。
 阿弥陀様は、邪見で驕慢なものを除くといいながら、実はそのような者に対してこそ、迷える人々を救わずにはおかないという、熱い大悲の本願をふりそそいでおられるのです。
 親鸞聖人が、「邪見驕慢悪衆生 信楽受持甚以難」と詠まれているのは、実は「邪見で驕慢なこんな私でも救われていく」という深い感動のこころを詠まれているにほかなりません。
 とても味わい深いところです。

○凡夫のおごりが顔を出す
 けれども注意しなければならないのは、「凡夫だから仕方ない」というのではないのです。
 ときどきそのような言葉を耳にしますが、これも凡夫を単に言い訳に使っているに過ぎず、阿弥陀様の心を本当に受け止めた言葉ではなく、やはりおごりの心に通じるものです。
 私たち本願他力のお念仏の教えをいただく者が、ともすればはき違える信心のむつかしさがここにあります。
 また、阿弥陀さんのご本願が、「全く無条件での救済」だけに、すぐには私たちが受入れにくいのも事実です。
 私たち人間の世界で「無条件の救済」に近い心が親が子を思う心です。
 また人の善意や好意といった心も、それに通じる心でし ょうが、そのような心が、なかなか通じにくいのも現実です。
 「ただほどこわいものはない」なんて言葉もあるくらいです。
 ましてやいのちという最大の問題において、「全く無条件で救うぞよ」と阿弥陀さんに呼ばれても、「はい、そうですか」と簡単にその気になれないのも正直な話しで、これが私の煩悩なのです。
 けれど、これをもってお念仏のみ教えが難しいというのではありません。いただきやすい信心を難しくしているものが、邪見や驕慢の私の心であることに気付き、いよいよ阿弥陀さまの呼び声をたのもしく受け止めたいものであります。

 1月例会 住職法話より

2008年09月18日

梅鶯仏教壮年会報 第61・62号より

○正信偈を味わうH

 阿弥陀様のご本願を信じて念仏する人には、どのような利益(りやく)があり、どのように救われていくのかが、これまで様々に述べられてきましたが、引き続いて今回は、

 獲信見敬大慶喜 即横超截五悪趣
の2句と、

 一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願
 仏言広大勝解者 是人名分陀利華

の4句を味わいます。
 まず先の2句「獲信見敬大慶喜 即横超截五悪趣」を分かりやすく述べると、「信心を得て、見て、敬って、大いに慶べば、即座に私達の迷いの世界である五悪趣の世界を、横っ飛びに超えて断ち切ることができるのです」となります。
 阿弥陀さまの、「必ず救わずにはおかれない」との願いを、そのまま素直に受け止めて喜ぶことが浄土真宗の信心であることは、これまでに様々な角度から味わってきました。
 したがって、ここで「信心を得て、見て、敬って」とあるのも、私自身の力で行うものではなく、すべて阿弥陀様の働きによるものであり、「他力の信心」であることを、まず確認することが大切です。
 そしてその他力の信心を得て大いに喜べば、私達が迷いの世界から横っ飛びに抜け出すことが出来るのだと喜ばれているのです。
 これを、「横超五悪趣の益」と呼びますが、最初にこの「横超」という言葉の意味に出会った時、私は大いに感動しました。
 ここのところを共に味わいたいと思います。

○地獄も浄土も身近な世界
 まず、「五悪趣」という言葉ですが、この言葉はあまり聞き慣れませんが、「六道」という言葉はご存じだと思います。
 すなわち、「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人」「天」の六つの迷いの世界ですが、この中の修羅を畜生に含めて五道として呼ぶのが「五悪趣」であり、六道と全く同じ意味です。
 この六道をぐるぐる回り続けていることを輪廻といい、私達はそこからいつまでたっても抜け出ることができずに、これまでさまよい続けてきたのです。
 このようにいいますと、今居る人間界はともかく、恐ろしい火に包まれた地獄や、欲に満ちあふれた餓鬼道や、本能のままにふるまう畜生道や修羅の世界などは見たこともなく、信じられないとの言葉が返るかも知れません。
 けれども実はこの迷いの世界として示す六道は、け っして別々に存在するのではなく、私達自身がそれぞれの世界をへめぐりながら存在しているのです。
 江戸中期の臨済宗の名僧白陰禅師にこんな話があります。
 あるとき、白隠のところへ一人の侍が訪れて「地獄や極楽はあるのか ?」と尋ねます。
 そこで白隠は「そんなことが気になるとはお前は相当な腰抜けじゃな」と愚弄します。
 そうしたらその侍は大いに怒り、白隠を刀で切ろうとして、まさに刀が振り下ろされようとしたその瞬間「それ、そこが地獄じゃ」と白隠の気迫のこもった声がした。
 そこで侍は、はっと気づき、あわてて刀をおさめ、その場にひざをつき「ありがとうございます」とおわびと御礼を述べたのです。
 そこでまた白隠「それ、そこがお浄土じゃ」と、にっこり笑ったということです。
 六道は私達自らが作り出している迷いの世界そのものなのです。
 仏教は、そのような輪廻の鎖につながれて迷い続けている人々の目を開き、迷いの世界から抜け出る道を教える教えです。
   
○他力浄土門の世界
 仏教は、六道輪廻の鎖につながれて、迷い続けている人々の目を開き、迷いの世界から抜け出る道を示す教えでした。
 その道は大きく二通りあり、「自力聖道門」と「他力浄土門」の道です。
 自力聖道門は、修行等により自らの力で迷いを断ち切り、悟りの世界を得ようとする世界ですが、それがかなわない凡夫のために、如来の本願である、他力救済の浄土門があるのです。
 自らの力で迷いを断ち切り、悟りの世界を得ようとする自力の世界に対して、煩悩を断ち切ることの出来ない私が、煩悩を持ったままで救われていくという他力本願の世界は、なにか理にかなってないように見えますが、これを、「横超」と味わっておられます。

○横っ飛びに超える世界
 ある一匹の虫が竹の中に閉じこめられました。
 虫には上へはい上がる習性があり、その虫もなんとか外に出ようと、上にある節を食い破るのですが、そこにはまた次の節があり、あいかわらず竹の中の世界でした。
 さらに上へ上へと節を食い破り、登っていくのですが、容易に竹の世界から抜け出ることはできません。
 ところがどうでしょう、あるときふと横から一筋の光が差し込まれ、その光に誘われるままに横へと進んだならば、一足飛びに外の世界へと超えることができました。
 虫にとっては、たてに進むのが道理にあった常識の世界なのですが、その道理では、はかり知ることのできなかった横に超える世界により救われたのです。
 これが「横超」です。
 一つひとつの節を食い破り、たてに迷いの世界を超えようとするのが、自力聖道門の世界です。
 これに対して、阿弥陀さまの呼び声によって、横に一足飛びに迷いの世界を超えるのが、絶対他力の浄土真宗の世界であります。

○白い蓮の花のような人 
 このように、他力の信心を喜び、五悪趣という迷いの世界を超え出ることのできる人を、お釈迦様はほめ讃えて下さいます。
 それがつぎの4句「一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願 仏言広大勝解者 是人名分陀利華」で、「一切の善いも悪いも関係なく全ての人々は、阿弥陀さまの誓願を聞き信じるならば、お釈迦さまはその人を『仏教の最高の理解者』と呼び、また『白い蓮の花のような人』と讃えて下さいます」と親鸞さまは喜んでおられます。
 ここに「聞信」という言葉が出てきますが、浄土真宗では「聞即信」といわれるように聞くと言うことが大事で、そのままが信心なのです。
 つまり信心とは、阿弥陀さまのご本願によってこの私が救われることのいわれをそのまま聞くことです。
 その聞くことにより阿弥陀さまの心を受け止めることができた人を、仏教の最高の理解者「勝解者」と呼ばれるのは、やはりお釈迦さまが本当にお説きになりたかったのは、お念仏の教えだったからです。
 蓮の花は、きれいな水の中や、水はけの良い場所には育ちません。
 黒い汚泥の中で、その汚泥を吸収しながらも、それにけっして染まることなく純白の華を咲かせます。
 煩悩の泥にまみれながらも、その煩悩を断つこともないままで、南無阿弥陀仏の純白の信心の花を咲かせることにより、お釈迦様から「分陀利華」とほめて頂くのです。
 それはまるで幼子が、お母さんから「よいこね。よいこね」と頭をなでて頂いているように、ほっと安らぎを感じます。

 7月例会 住職法話より

2008年04月12日

梅鶯仏教壮年会報 第55号・56号より

○正信偈を味わうG
 前回は、「能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃 凡聖逆謗斉廻入 如衆水入海一味」の4句を、味わいました。
 これは、「阿弥陀様の願いを喜ぶ人は、自分の煩悩を断ちきらないままでお浄土に生まれ、あらゆる川が海に流れ入って一つの味になるように、全ての者が分け隔て無く救われていくのです。」という内容で、私達がお釈迦様の真実の言葉に応えれば、どのように救われるのかということが述べられていました。

○阿弥陀様の救い
 摂取心光常照護 已能雖破無明闇
 貧愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天
 譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇
 今回の六句も、私達がどのように救われるのかが、引き続き述べられています。
 まずは、分かりやすく、この六句を読み下します。
 「阿弥陀様の救いの光は、いつでも私達を照らし護り続けて下さっており、私達は、すでに救われることの疑いが晴れ去っているのです。けれども、私達の煩悩という雲や霧が、常に信心の空を覆っていて、どうしても心からそのことを喜べる状態にはありません。けれど心配しなくても良いのです。譬えば、太陽の光が雲や霧で覆われても、その下は明るく闇になるようなことがないように、私達が煩悩の雲や霧で覆われていたとしても、阿弥陀様の救いの光は間違いなく届いておって下さるのです」といった内容です。

○「摂取」のこころ
 そこでまず、最初の「摂取心光常照護」を味わいます。
 阿弥陀様の救いの働きを「摂取」と呼んでおられます。
 この「摂取」という言葉は「おさめて取る」という意味ですが、親鸞聖人は、「摂取とは、逃げる衆生を追いかけて抱きとること」と、わざわざ註釈をつけておられます。
 これは随分以前のことですが、私が京都駅の新幹線ホームで電車を待っていたときの話です。
 突然、二つか三つの、見るからに元気そうな男の子がホームの端をダーッと走り始めたのです。
 親が手を離した、ちょっとした隙だったのでしょうが、びっくりしました。
 現在の京都駅の新幹線ホ ームは柵が張り巡らさていますが、その当時はまだ柵は無く、一歩踏み外せば、線路に真っ逆さまです。
 当然、親はあわてて追いかけるのですが、子供は親が追いかければ追いかけるほど逃げるのです。
 それでも親は必至で追いつき、抱き取って「よかった!」という顔をするのですが、子供はまだ親の手から逃げ出そうともがくのです。
 けども親はもう二度と離しません。
 逃げる我が子を追いかけて、おさめ取って、二度と離さない。これが親なのです。
 私達の生活を振り返ってみますと、煩悩にまみれ、多くの命を頂戴しながら、それこそ新幹線のホームから落ちるどころか、地獄へ真っ逆さまの危なっかしい日暮らしです。
 仏様の願いとは正反対の生き方をしています。仏様から逃げまくっているのです。
 その私達を、阿弥陀様は必至に追いかけ、つかまえて、二度と放さないと誓って下さるのです。
 これが「摂取」ということなのです。 
 そして、この摂取の働きは、「摂取心光常照護」と、いつでも照らし護り続けていて下さるのです。

○よろこべない私
 ところがどうでしょう。そんな阿弥陀様の存在に気付いたならば、本当は胸の中が晴れ晴れとした心持ちになってもおかしくないはずです。
 ところが、そうは問屋がおろさないのです。
 ホームで抱きかかえられた子供が、よろこび反省するどころか、まだ逃げようともがくように、私達もまた、晴れ晴れとしたよろこびの心も起こらず、いつもの生活を繰り返しているのです。
 この悲しい私たちの現実を、次の三句で「私達はすでに救われることの疑いは晴れ去っているのですが、私達の煩悩という雲や霧が、常に信心の空を覆い、どうしても心からそのことを喜べる状態にはありません」(已能雖破無明闇 貧愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天 )と詠われてます。
 それでは、このことを私達はどのように受け止めればよいのでしょうか?

○親鸞様の告白
 歎異抄という有名な書物があります。
 この歎異抄は、あまりにも親鸞聖人が端的な表現で語っておられるため、誤解されやすいことでも有名なのですが、それほどお念仏の本質に迫っているということでもあります。
 その歎異抄の中で、「喜ぶべき事を喜べない」ことについても、端的に述べておられます。
 ある時、弟子の唯円坊が親鸞さまに尋ねます。
「私はお念仏を申しても、躍り上がって喜ぶほどの心も湧きませんし、また、早く浄土へ行きたいという心も起こりませんが、これはどうし
てなのかと心配するのですが」と。
 その唯円坊の問いに対して、
「私もそう思っていたんですよ。唯円房もおなじ思いでしたか」と、まずお答えになり、続いて親鸞様は、
「よくよく考えてみるに、本当は天におどり地におどるほどに、よろこばなければならないことをよろこべないのは、煩悩のためであり、また浄土へ早く行きたいと思うどころか、少しでも体の調子が悪ければ、死ぬのではないかと心細く思うことも、煩悩のせいなのです。けれどこのことを、仏様はとっくに分かっていて、私達を『煩悩具足の凡夫』と呼んで、『そんな私達のために他力の本願があるんだぞ』と仰っておられるではありませんか」
「そう考えると、仏様の仰っている通りだから、やっぱり阿弥陀様の本願は間違いないと、よけいに頼もしく感じてくるのです」
 「もしもこれが躍り上がるほどに悦びが湧き、いそいで浄土へ行きたいと思うようなら、かえって自分には煩悩が無いのではと、むしろ心配になるのではないでしょうか」と。
 煩悩によって、晴れ晴れとお念仏を悦ぶ身にはなれないけれども、だからこそ弥陀御本願による『摂取』の救いが間違いないのだということを、親鸞様が私達と同じ目線で語って下さいます。
 魅力あふれる人間親鸞の告白です。
 このことが、今回の締めくくりの最後の2句です。

○下に闇なき
 「譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇」
 譬えば、太陽の光が雲や霧で覆われたとしても、その下がけっして闇になるようなことがないように、私達が煩悩の雲や霧で覆われていても、阿弥陀様の救いの光は必ず届いておって下さるのだということであります。
 今回の6句も大変味わい深いものでした。

1月例会 住職法話より

2007年09月25日

梅鶯仏教壮年会報 第50号・51号より

○正信偈を味わうF 
 前回のお話しを簡単におさらいしますと、「如来所以興出世 唯説弥陀本願海 五濁悪時群生海 応信如来如実言」という4つの句で、「お釈迦様が、この世にお生まれになったのは、阿弥陀様の御本願を説くためであり、私たちはお釈迦様の真実の言葉を信じ、それに応えていかなければなりません」ということでした。
 それでは、そのお釈迦様の真実の言葉に応えれば、私達はどのように救われるのかというのが、今回の、「能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃 凡聖逆謗斉廻入 如衆水入海一味」です。

 まず、この4句を分かりやすく意訳しますと、
「よく信心をおこして、阿弥陀様の救いを喜ぶ人は、自らの煩悩を断ちきらないままでお浄土でさとりを得ることができます。凡夫も聖者も、五逆という罪を犯した人も、仏法をそしっていた人も、みな阿弥陀さまの本願海に入れば、ちょうど、あらゆる川の水が、海に流れ入って一つの味になるように、すべて等しく救われるのです」
ということになります。
 この4句は、阿弥陀様のご本願の最も特色ある内容で、私自身、正信偈をお勤めする時、いつも有り難く読ませて頂いております。

○これぞ阿弥陀さま
 そこでまず最初の2句、「自らの煩悩を断ちきらないままで、お浄土でさとりを得ることができます」とは、まさに、「これぞ阿弥陀さま」なのです。
 『煩悩』というのは、私達の自己中心的なとらわれの心から生じるもので、この煩悩があるがために、私達は悩み、迷い、時には争いを起こし、苦しみが絶えないのです。いわば「諸悪の根源」なのです。
 一方、『涅槃』というのは、煩悩の火が消えて静かな安らぎを得た状態で、さとりの世界、仏さまの世界であり、私達の究極目標とする世界であります。
 したがって、『煩悩』と『涅槃』の関係は、煩悩があるがために涅槃が得られないのですから、全く反対の世界といえます。
 そこで煩悩を断って涅槃の世界に入るために、昔から多くの人が、出家して厳しい修行の道にいそしまれたのです。
 ですが、果たしてだれかこの世で涅槃に到達された方がおられたでしょうか。
 残念ながら、凡夫といわれる私達には、自分自身で煩悩を断ちきることなどは不可能であることを、はっきりと歴史が証明しているのです。
 そんな絶望状態の私達に代わって、一切の者を全て救うとの誓いを建て、仏と成られたのが阿弥陀さまなのです。
 しかも阿弥陀様は「不断煩悩得涅槃」と、私達に、「煩悩を断たなくてもよい」と仰るのです。
 煩悩と涅槃は正反対の関係のはずなのに、一体どういうことなのでしょうか。
 実はここが大変味わい深い所なのです。

○闇は光によって
 打ち破られます 窓も雨戸も閉ざされた、真っ暗闇の部屋を思い浮かべて下さい。
 暗闇はいつまでも暗闇のままで、闇自身が闇を打ち破ることはできません。
 ところが、窓も雨戸も開かれ、太陽の光が一杯に差し込まれたとしたら、今までの闇の世界が、一転して明るさに満ちあふれた世界に変えられます。
 これは、暗闇自体が闇を打ち消して明るい世界へと変わったのではなく、暗闇は暗闇のままで太陽の光によって明るい世界へと変えられたのです。
 そうなのです。煩悩にまみれた私達は、煩悩を打ち消すことはできないのですが、そのままで、阿弥陀さまの本願という光に包み込まれて、光の世界へと変えられていくのです。

◇◆◇◆

 闇は、闇のままで、光によって明るい世界へと変えられるように、煩悩にまみれた私達は、煩悩の身のまんまで、阿弥陀さまの本願の光に包み込まれて、光の世界へと変えられるのでした。

○等しく救われる世界
 続いての後半の2句は、「凡夫も聖者も、五逆という罪を犯した人も、仏法をそしっていた人も、みんな阿弥陀さまの本願海に入れば、ちょうど、あらゆる川の水が海に流れ入って、一つの塩味になるように、すべてが等しく救われるのです」ということで、これも真に味わい深い内容であります。
 「凡夫も聖者も」とあります凡夫(ぼんぶ)とは、まさに私達のことですが、親鸞聖人は一念多念文意という書物の中で、「凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり・はらたち・そねみ・ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず」と、それこそ痛烈に私たちの現実の姿を示しておられます。
 そして「五逆」「謗法」という重い罪を犯した者といいますのも、観無量寿経というお経の中に出てくるアジャセとかダイバダッタなどの重い罪を犯した人達のことなのですが、実はこの人達も本当のところは私達の姿を写して出しているのです。
 けれどこれほど救われようのない私達であっても、親がどの子も分け隔てなく愛するように、みんな平等に救われていくというのです。
 川といってもいろんな川があります。
 水源や流域によって、澄んだ川も、濁った水も、硬質も軟質もあります。
 名水と讃えられる水も、鼻をつまみたくなるようなどぶ川もあります。
 けれど、そんな水質の異なった河川の水ですが、海に入ってしまえば、同じ塩味の海水となるように、凡夫でも聖者でも、分け隔てなく、平等に救われていくのだと喜ばれるのです。

○私こそが阿弥陀さまの目当て
 たとえば、船が難破して多くの人が溺れています。
 そこへ救助船が現れ、溺れている人を救います。
 当然、金持ちであろうと貧乏人であろうと、賢い人も愚かな人も、男でも女でも、大人でも子供でも、みんな等しく救助しなければなりません。
 けれど現実問題として、いっぺんに助けることは出来ない時、どういう人から救うでしょうか。
 いろいろと考えられますが、まずは、今まさに溺れかけている人こそ救わなければならないのではないでしょうか。
 元気に泳いでいる人や、物につかまっている人よりも、水に沈みかって手を差し伸べている人こそ、早く救おうとします。
 逆に、救助に気が付かない人や、救助する人を疑って、自力で岸まで泳ぎ着こうとする人などは、助けることが難しいでしょう。
 阿弥陀様のご本願による救いも同じ事が言えないでしょうか。
 阿弥陀様は全ての者を等しく救おうと誓われていますが、その中でも特に、今まさに地獄に堕ちようとしている凡夫の私、そして阿弥陀さまのご本願に気づかせて頂き、お念仏を称えさせて頂く身となったこの私こそが、阿弥陀様の救いの第一の目当てなのです。
 親鸞聖人は「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」と喜ばれています。
 つまり「凡夫も聖も同じように救われる」と詠まれていますが、実は、凡夫であるからこそ間違いなく救われるのだと、その悦びを詠まれているのです。

2006年08月28日

梅鶯仏教壮年会報 第37号・38号より

○正信偈を味わう(6)
 今回は「如来所以興出世 唯説弥陀本願海 五濁悪時群生海 応信如来如実言」の4句を味わいます。
 ここまでのところでは、阿弥陀様の教えそのものが讃嘆されてきましたが、ここから「難中之難無過斯」までの24句は、その阿弥陀様のみ教えを私たちに示して下さったお釈迦様について詠まれています。
 まず4句を意訳してみますと、
「お釈迦様(ここでいう如来とはお釈迦さまのこと)が、この世にお生まれになられたのは、ただただ阿弥陀様のご本願を説くためでありました。五濁(五つの濁りで示された末法の世)といわれる煩悩に満ちた世界に生きる私たちは、そのお釈迦様の真実の言葉を信じて応えていかなければなりません」
 おおよその意味はご理解頂けると思います。

○お釈迦様ご誕生の意味
 つまり最初の2句には、何故お釈迦様が、この私たちの人間世界にお生まれになったのか(これを仏教学では「出世本懐論」といいます)が述べられており、親鸞聖人は「ひとえに阿弥陀様のお念仏の世界を私たちに伝えるためである」と仰るのです。
 お釈迦様は80歳で亡くなられるまでの40年間、八万四千の法門と呼ばれる数多くの教えを説かれました。
 その沢山のお経の中で、阿弥陀様のご本願が説かれている「仏説無量寿経」というお経を説くために、お釈迦様は、私たちのこの世界にお生まれになったのだと、親鸞様は仰るのです。

○私にとっての真実の教えとは
 では、他のお経は一体どうなるのでしょうか?
 もちろんお釈迦様が説かれたお経ですから、真実でないお経があるはずはありません。
 たとえば、自力行(自分の力で仏になることを目的とする)の天台宗や日蓮宗では「法華経」というお経こそが、いわゆる出世本懐のお経だとされています。
 このことを、どのように理解すればよいのでしょうか?
 このような話を聞いたことがあります。
『ある人が雨上がりに、ふと橋の上から下を見たところ、どういうわけか一匹の親犬と3匹の子犬が、川の中州に取り残されていました。どうしたものかとしばらく見ていたところ、突然親犬が川に飛び込み、必至に岸まで泳ぎ着いて、すぐさま子犬たちに「おまえ達も早く泳いでこい」とばかりに吠え続けたそうです。そこで子犬たちはその声に励まされるように、つぎつぎに川に飛び込み岸に向って泳いだそうですが、3匹の子犬の中で、見るからにひ弱そうな一匹の子犬だけが川の途中で今にもおぼれそうになってしまったそうです。それを見た親犬は、再び川に飛び込み、その子犬を口にくわえて、なんとか無事に岸までたどり着いたのだそうです』
 無事にたどり着いた二匹の犬にとっても、川を泳ぐ手本を示してくれた親犬は間違いなく真実の親です。
 けれども、川に溺れるしかなかった子犬にとっては自分をくわえて向こう岸まで泳いでくれる親犬であったればこそ、かけがいのない「私の親」なのです。

○親鸞様と真の親との出会い
 お釈迦様は、私たちが向こう岸(彼岸)にたどり着くための沢山の教えを示して下さっています。
 親鸞聖人も、比叡山での20年間、お釈迦様が説かれたあらゆるお経の中に、自分の救いの道を求められたのです。
 けれども親鸞様は、最後の最後に川におぼれるしかない自分を発見し、そのどん底の中で、私をつかみ取り、必ず川を渡しきるぞと誓っておってくださる南無阿弥陀仏のみ教えに出会われ、煩悩具足の凡夫としての自分が救われる道は、阿弥陀さんのご本願が説かれている、「仏説無量寿経」よりほかにないと選び取られ、この教えこそが唯一真実の教えなのだと受け止められたのです。
 これが、「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」としての悦びのうたです。
 ですから「唯∧説∨弥陀本願海」と、お釈迦様がお生まれになったのは、ただ阿弥陀様の本願を<説く>ためであると悦ばれていますが、同時にこの私にとっては、「唯∧聴∨弥陀本願海」と、ただ阿弥陀様のご本願を<聴く>しかないと味わうことができ、これが聞法の世界であります。

○本願の海と煩悩の海
 今回味わっている4句の中で、もうひとつ味わい深いところがあります。
 それは「本願海」「群生海」と二つの海が出てくることです。
 まず、阿弥陀様のご本願を「本願海」と海にたとえられていますが、海ははてしなく広く、際限もなく深く、さらにはあらゆる命の根源でもあります。
 そして、川から流れ入る全てのものを分け隔て無く受け容れ、全てを同じ「海の味」に変えてしまうとい ったところから、親鸞様はよく阿弥陀様のご本願の慈悲の深さを、海にたとえて表現されています。
 例えば「本願海」の他にも、「一乗海」「信心海」「誓願海」「大宝海」などがあります。
 ところがもう一方では、私達の世界の煩悩も際限なく深く、まよいの広さに果てしがないところから、やはり同じく、「群生海」(群生とは衆生と同じ意味で私たちのことを指しています)と海にたとえられています。
 「群生海」の他にも「生死の苦海」などといった言い方もしばしばされています。

○二つの海は、別々なのでしょうか
 阿弥陀様の本願の世界を「本願海」と海にたとえ、それとは全く正反対の私たちの煩悩の世界も同じように「群生海」と海にたとえられています。
 それではこの二つの海は別々の海としてたとえられているのでしょうか?
 大きな総合病院を思い描いて下さい。
 その病院の中では、様々な病気を持った人達が集まり、病人の世界を作り上げています。
 ところが同時に、病院にはあらゆる病気を治すための設備と薬を備えた医者の世界もできあがっております。
 それではその「病人の世界」と「医者の世界 」は別々にあるのでしょうか?
 けっしてそうではなく、病人が居るからこそ医者の世界があるのです。
 一見全く反対の世界でありながら、実は一つの世界として成り立っているのです。
 阿弥陀様の本願とは、一切の苦悩の私たちを救わずにはおかれないという、私たちの上にかけられた願いであり、煩悩具足の私たちがあるからこそ、常に大悲の本願が掛けられているのです。
 もしも私たちの世界とは別に阿弥陀様の世界があるならば、私たちはもう救われようがありません。
 「群生海」がそのまま、阿弥陀様の活動する「本願海」なのです。
 私たちの生きる世界が、そのまま阿弥陀様の願いの中に包まれており、そのままがお浄土へと通じる世界なのだと味わわせて頂くことであります。

 7月例会住職法話より

2006年06月22日

梅鶯仏教壮年会報 第35号・36号より

○正信偈を味わう(5)
 これまで、法蔵菩薩様が私たちを救うために阿弥陀仏となられた「法蔵菩薩物語」、その阿弥陀様の徳を比喩的表現で讃えられた十二の光のお話をしました。
 続く今回の4句には、煩悩具足の私たちが、どのようにして阿弥陀様のお浄土に往生し、さとりを開くことができるのかということが説かれています。
 仏説無量寿経というお経に、私たちを救うための阿弥陀様の願いが48項目述べられています。これを、「四十八願」「ご本願」と呼びますが、その最も肝心なところを親鸞聖人がわずかこの4句に凝縮してうたわれているのです。
 私たちにとっては、なんといっても永遠の安らかな世界に到達することが、最終目的ですから、わずか4句の偈文ですが、ある意味では「正信偈」の中で最も大切な箇所とも言えます。
 そこでまず、この4句を簡単に意訳します。
「本願名号正定業」 本願として誓われた名号(南無阿弥陀仏)のはたらきだけが、私をお浄土に往生させる要因であります。
「至心信楽願為因」 その名号のはたらきを受けとる他力の信心こそが、私が浄土に往生できる唯一の因(たね)であります。
「成等覚証大涅槃」
 信心を頂いたならば、すぐさま必ず仏になることのできる仲間に入り、人間としての命が終わるときに、間違いなくさとりを得ることができます。
「必至滅度願成就」 必ず仏となる身に育てられ、永遠の真理の世界に到達できるのは、ひとえに阿弥陀様のご本願が成就したからであります。

○私がさとりを得る方法
 最初の二句には、仏となるための「因(たね)」が述べられ、後の二句にはその「結果」が述べられています。
 例えば今、宇賀野にいる私が京都へ行くとします。
 私が京都へ行くには、まず、京都へ行きたいという思い(願い)が必要です。
 つぎに、行くための手段(電車)が必要です。
 けれど、たとえ電車が用意されても、その電車に乗らなければ、けっして京都に着くことはできません。
 つまり、京都に行きたいという願いがあり、用意された電車に乗るという「原因(たね)」があり、はじめて京都に着くという「結果」が生じるのです。
 この例え話を当てはめてみますと、私が仏となりたい(京都に行きたい)という願いは、迷えるこの私を救いたいという阿弥陀様の願いの中に包まれており、仏となる手段(京都行きの電車)は南無阿弥陀仏の名号として完成され、私がそれを信じて念仏する(電車に乗る)だけで、まちがいなく真実の世界(京都)へと生まれさせて頂けるのです。
 しかも、「信じて念仏する」ことさえも、実は阿弥陀様のはたらきかけから生じるものであり、結局、全てが阿弥陀様の差し向けによって、この私が浄土往生できるというのです。

○浄土真宗のむずかしさ
 一般的に私たちの世界では、願い事が大きければ大きいほど、それを成し遂げるのには、困難や努力が大きくなるのが常識です。
 私のいのちの問題を解決しようとする大問題でありますから、どんなに複雑で難しいことが要求されるのかと思いきや、全てを阿弥陀様におまかせし、私の努力は一切必要としないと仰るのです。
 実はここが、浄土真宗・お念仏の世界のすごさですが、同時に難しさでもあるのです。

○おごりの心
 一般的に、私たちの世界では、願い事が大きければ大きいほど、それを成し遂げるのには困難や努力が大きくなるのが常識です。
 ところが、私のいのちの問題を解決しようとする大問題であるのにもかかわらず、阿弥陀様は全てをまかせよと仰り、わたくし側の努力など一切必要ないと仰るのです。
 「少しは私の努力も必要であるはずだ」などと考えてしまいますが、実はそのように思う心こそが、「驕慢心」といわれる「おごりの心」であり、お念仏の世界を最も遠ざけてしまう心なのです。
 「往生ほどの一大事、凡夫のはかろうべきことにあらず。ひとすじに如来にまかせたもうべし」という言葉があります。
 仏になる力など全くあるはずがない私だからこそ、阿弥陀様は、本願をお建てになられたのです。

○母親に抱かれる幼子
 幼子が母親に見守られてすくすくと育っている姿を思い浮かべて下さい。
 幼子は自らの力で成長する覚悟を持っているでしょうか。
 幼子は母親にお願いをして育ててもらっているのでしょうか。
 ちがいますよね。すべては母親のわが子の成長を願う「慈しみの心」によって成り立っているのです。
 すくすくと育てられる全てが、幼子のはからいではなく、母親の願いのなかに包み込まれて、完成されている世界なのです。
 この世界は、「願えばかなえられる」「努力すれば報われる」といった一般的な私たちの常識を超えた世界であります。

○阿弥陀様の一人子
 私と阿弥陀様の関係も全く同じなのです。
 阿弥陀様は私たち一人ひとりを、「一子地(ひとり子)」と呼び、慈しんでくださっております。
 その心にふれさせていただくとき、「はなしがうますぎる」などと、いかに私のはからいが浅はかなものであったかに、気が付かさせて頂けるのです。
 さらに阿弥陀様は、「我が名を呼べ(お念仏を称えなさい)」と仰られています。
 母親として一番嬉しいことは、「お母さん」と幼子から呼ばれることだといわれます。
 「お母さん」と呼ばれるただその一言で、母子の心が通じ合い、親子のいのちが一つにとけあうのです。
 つまりお念仏がそれなのです。
 お念仏を称えるということは、けっして仏になるための条件などではありません。苦しいときに「なんまんだぶ」と称える念仏も本物ではありません。
 本当のお念仏は、この私が間違いなく仏となれる世界での、阿弥陀さまと私の呼び合いなのです。
 「南無阿弥陀仏 声はひとつに 味ふたつ 親の呼ぶ声 子のしたふ声」
 はるか昔から、まよいの世界をさまよい続けてきたこの私が、阿弥陀さまのはたらきで、迷いの絆(きずな)が断ち切られ、さとりの世界に生まれることが保証された。いわゆる、『後生の一大事』が解決したということです。
 ここに初めて、安心の人生を送ることができるのです。
 法然上人は「生きらば念仏申さなん、死なば浄土へ参りなん。とてもかくてもこの身には思い煩うことぞなき」と充実した人生の心境を語っておられます。
 親鸞聖人は、その安心の世界の成り立つ仕組みを、この4句に凝縮して讃嘆されておられるのです。

5月例会 住職法話より

2006年03月06日

梅鶯仏教壮年会報 第31号・第32号から

○正信偈を味わう(4)
「普放無量無辺光」から「一切群生蒙光照」までの6句には、阿弥陀様の十二の光の働きがあらわされています。
最初の4つの光、「無量光」「無辺光」「無碍光」「無対光」は、阿弥陀様とはどんな仏さまなのかという、いわゆる仏さまの様が示されていました。
つづく4つの光、「光炎王」「清浄光」「歓喜光」「智恵光」は、仏さまの働きの内容が示されていました。
そして今回味わう最後の4つは、その阿弥陀様を讃嘆する、つまりほめ讃える光の名前なのです。

○「不断光」=途切れることのないはたらき
まず最初は「不断光」です。
「不断光」の不断とは途切れることなくという意味で、阿弥陀様が私たちを救済する働きは、一瞬の休みもなく、常に働きづめにはたらいていて下さることを讃えています。
幼子が母親の手の中で安らかに眠っています。
時々目を覚ましては母親の顔を見つめ、また安心して眠りにつきます。
幼子は四六時中母親の存在を確認しているわけではありません。
けれど、母親の方が間違いなくいつでも自分のことを見ていてくれることを知っていて、安心の中に眠っているのです。
私たちは、ほとんどの時間、仏さま阿弥陀様のことを忘れてしまっているのですが、阿弥陀様の方では片時も私たちのことを忘れずに、摂取の光を照らし続けてくださっているのです。
これが「不断光」ということです。

○「難思光」=不思議のはたらき
つぎに「難思光」です。
難思とは私たちの考えもおよばないという意味で、一般に使う不思議とほとんど同じ意味ですが、味わいは大きく違います。
山科本願寺を建立するときの話です。
棟上げ式を迎えた日、それまで激しく降っていた雨がぴたりと止み、晴れ間さえ出始めました。
ある人が「さすがにご本山。不思議なこともあるものです」と仰られたのですが、それに対して蓮如上人は、「不思議とは、凡夫が弥陀に救われることだけです。」とお応えになりました。
つまり、私たちが一般的に不思議と思うことは、どんなことでも突き詰めれば全て原因があり、縁起の世界からは全て必然的なことなのです。
したがって激しい雨が上がったことも必然で、本当は不思議でもなんでもないのです。
けれど、地獄へ堕ちてもなんら不思議でない私たち凡夫が、お浄土へ生まれさせていただく。このことこそがまさにに不思議であるということです。
阿弥陀様のご本願による救いこそが、私たちの世界の理屈を超えた不思議の働きであるということです。
これを「難思光」と讃えます。

○「無称光」=讃えきれないはたらき
 つぎに「無称光」です。
 称とは、称讃という意味で、無称とは、ほめ讃えることが無という意味になります。。最後の4つの光は阿弥陀様をほめ讃える光の名前といいながら、ほめ讃え無いとはおかしなことですが、不称ではなく無称というところに注意をして頂きたいと思います。
 つまりほめないのではなく、「ほめたくてもほめることができない」「ほめ尽くせない」のです。
 山田洋次という映画監督が、「本当に良い映画を見終えた時には、なにも話したくなくなりますね。もしも誰かが朗々とその映画の感想を述べ始めたりなどし始めたら、全く逃げ出したくなりますね」と仰っていました。
 本当に深い感動に出会ったときには、言葉を失うものでしょうし、言葉で称讃することなどできないものだと思います。
 いわんや、いのちという最大の問題を解決してくださる、阿弥陀様との出会いは、言葉でほめ讃えることなどできるはずがありません。
 それが「無称光」ということです。

○「超日月光」=日月をも超えた光
 最後に、「超日月光」です。
 これは文字通り、阿弥陀様の光は太陽や月の光さえも超えると讃えられるのです。
 「さんだんのうた」という歌の中で、月日のひかりかげかくし宝の玉のかがやきもみなことごとく覆われてさながら墨のごとくなりと、詠われています。
 闇の中にいるものは闇の中であることさえも気付きません。
 闇を照らす光によって初めて闇が闇であると気付くのです。
 無明の闇の中で煩悩にさまよっていたこの私が、ご本願という教えの光に出会い、闇そのものである私の真の姿が照らし出され、お念仏を称える身を悦ぶ存在に育てられたのです。
 太陽や月の光は、この地上において偉大な存在であり、その恵みは計り知ることができません。
 けれども私たちの闇を破る阿弥陀様の光のはたらきは、偉大な恵みを授ける太陽や月の光さえも、はるかに超えるものであると讃えられているのです。
 以上、これまで十二の光を3回の例会にわたって味わってきました。
 その阿弥陀様の十二の光は、あらゆる世界を照らし(照塵刹)、全ての生きとし生きるものは、この阿弥陀様の光の中にある(一切群生蒙光照)というご文で締めくくられています。

1月例会住職法話より

2006年02月13日

梅鶯仏教壮年会報 第27号・第28号から

○正信偈を味わう(3)
引き続き、「普放無量無辺光」から「一切群生蒙光照」までの6句を味わいます。
ここでは阿弥陀様のはたらきが、「無量光」「無辺光」「無碍光」「無対光」「光炎王」「清浄光」「歓喜光」「智恵光」「不断光」「難思光」「無称光」「超日月光」の十二の光であらわされていることをお話しました。
初めの四つの光はすでに味わいましたが『無量光』とは「かぎりのないはたらき」、『無辺光』とは「区別・差別のないはたらき」『無碍光』とは「一切の条件を付けることのないはたらき」、そして『無対光』とは「他の仏様と比較することのできない、この上なく優れたはたらき」という阿弥陀様の働きでありました。

○「任せよ」との呼び声
この四つの光の譬えは、一言で云えば、阿弥陀様の働きの「様」「様子」を表しています。
阿弥陀様の「様」を表すことによって、私達に「安心して任せなさい」と呼びかけて下さるのです。
私達の世界でも、名医と言われるお医者さまは、まず患者さんを安心させるそうです。
つまり、「あなたの悪いところはこの私が一番よく知っています。あなたの病気を治すために私は最大限の努力をします。どうか安心して任せて下さい。」といったような気持ちを患者に伝えるのです。
そうすると患者も安心して、治療が上手くいくそうです。
実は阿弥陀さまも私達に「無量光」「無辺光」「無碍光」「無対光」と、その「様」を示すことによって「すべて安心して任せよ」と仰っているのです。

○光の「内容」
そこでつぎに「光炎王」「清浄光」「歓喜光」「智恵光」という四つの光のはたらきについてお話します。
最初の四つが阿弥陀さまの「様」を表すならば、この四つの光は 阿弥陀さまのはたらきの、「内容」を表していると言えます。
阿弥陀さまは、ひたすらわたくしたちに光をそそいで、その光の内に私たちをおさめとろうとします。
では何故そうしようとなされるのでしょうか?
それは、私たち人の世が闇だからです。私達は、「愚痴」「怒り」「貪り」という煩悩に翻弄され、正しくものを見る眼を失っている存在だからです。

○『光炎王』=煩悩を焼き尽くす
阿弥陀様は、私達の闇の世界を打ち破る王様です。
闇を照らす光だけではなく、煩悩を焼き尽くす炎の王様なのです。
炎に焼き尽くされたモノは、全て汚れも濁りも残さない純白な灰となります。
私達は本来ならば罪業深く、煩悩にまみれた生き方しかしていないのですから、地獄や餓鬼道に落ちてもなんら不思議でない存在なのです。
けれども、光炎王と呼ばれる阿弥陀様に出会えたことによって、全ての罪業や煩悩が焼き尽くされ、お浄土に生まれさせて頂くことが約束されるのです。
正信偈で拝読する和讃に、「光炎王仏となづけたり三塗の黒闇ひらくなり」とあります。
三塗の黒闇とは闇の迷いの世界、つまり私たちの世界と云うことで、その迷いの世界をひらくのが阿弥陀様の働きであるということです。

○『清浄光』=清らかな存在
つぎに清浄光ですが、清浄とは字のごとく不純物が混ざっていない清い光という意味です。
煩悩が耐えることのない私達の存在ですが、その煩悩を炎で焼き尽くすだけではなく、私達の存在を清らかに変え、そして浄土に迎えようとされるのが、阿弥陀様の働きなのです。
和讃に、「清浄光明ならびなし、 (中略) 一切の業?ものぞこりぬ」とありますが、「一切の業?(ごうけ)」とは、一切の束縛という意味で、煩悩の束縛から解き放たれて、清浄な存在へと変えて頂くのが、阿弥陀様の働きであります。

○『歓喜光』=本当のよろこび
つぎに阿弥陀様を歓喜光と讃えておられます。
本当の喜びを与えて下さる光と言うことです。
「よろこび」といいますと、一般的に私達の世界では、愛することの喜びや、成功した喜び、あるいは健康であることの喜びなど、様々あるでしょう。
しかしながら、悲しいかな、私達の世界での喜びは長続きがしないのです。
必ず終わりがきます。
それも単なる終わりならまだ良いのですが、多くは苦しみへと変わっていきます。
ところが、阿弥陀様からいただく喜びは、どんなに時間が経っても変わることがないのです。
「必ず救う」という阿弥陀様が、常に私のそばによりそって下さっているという喜びは、病気の時も失敗したときも、年を取っても死ぬ間際でさえも変わらないのです。
もちろん生老病死を根本とした、人間としての苦しみからは免れることは出来ませんが、全てを任せきることのできる阿弥陀様と常に一緒だという喜びは、その苦の中においても変わることがないのです。
これが歓喜光という阿弥陀様の働きです。

○『智恵光』=光に照らされた生活
智恵とよく似た言葉に知識がありますが、智恵と知識は区別して捉えなければなりません。
知識とは、モノを知るということで、確かにモノを知ることは大切なことなのですが、知識ばかりが優先すると、多くは損か徳かの世界に落ちいり、他と争うことにもなりかねません。
また、高くて豊かな知識が身につけばつくほど、ともすれば他人が愚かに見えてしまい、自分を立派に見せることにかかりきってしまいます。
一方、智恵とは、本当のモノの値打ち、何が大切なのかと云うことを見抜く力であります。
ですから、知恵が伴うことにより、はじめて知識も上手に使うことが出来るのです。
阿弥陀様の智恵の光は、私達に自分の本当の姿を見る目を与えてくれます。
妙高人の源左さんが、「ご法義におうたら一つだけ変わることがある。世の中のことがぜんぶ本当になる。」といわれています。
うそやごまかしが利かなくなるのです。
立派に見せようとしていたこの私の在り方が、「あさまし、おはずかし」の生活に変わり、「もっと欲しい、まだ足らん」という見方が、「ありがたい、もったいない」という世界に変わっていくのです。
人生そのものを、豊かな方向へと変えて下さるのです。
これが智恵光としての働きです。

9月例会住職法話より

梅鶯仏教壮年会報 第25号・第26号から

○正信偈を味わう(2)
前回は、いわゆる「法蔵菩薩物語」のお話でした。
つぎは、「普放無量無辺光」から、「一切群生蒙光照」までの6句を味わいます。
間違いなく私たちを救うと宣言していただいた阿弥陀様ですが、ではその阿弥陀様とは、「どんな方で、どんな働きをされる方なのでしょうか?」ということを、十二の光に喩(たと)えて詠われているのが、「普放無量無辺光」から、「一切群生蒙光照」までの6句です。

○十二の光
阿弥陀仏とは、もともとインドの言葉で「ひかりといのちに、限りがない仏さま」という意味ですから、阿弥陀様の働きはもともと光としてあらわすことが多く、お経には、「阿弥陀様の働きは、十二の光の名をもって呼ぶことができ、この光に照らされたものは、煩悩が消え去って身も心もやわらぎ、ふたたび苦しむことなく、臨終の後にさとりを得ることができる」と説かれています。
それでは、その十二の光とはどんな光なのでしょうか。
6句の最初の「普放無量無辺光」の普放とは「あまねくー広く全てにー放つ」という意味で、その後に十二のひかりの名前が出てきます。順番に見ていきますと、
(1)無量光 (2)無辺光
(3)無碍光 (4)無対光
(5)光炎王 (6)清浄光
(7)歓喜光 (8)智恵光
(9)不断光 (10)難思光
(11)無称光 (12)超日月光
の十二です。
今回はまず最初の「無量光」「無辺光」「無碍光」「無対光」の四つの光を味わいたいと思います。

○無量光ーかぎりない光
「無量光」といいますのは、量が無限の光という意味で、つまり誰に対してもどんな時にでも阿弥陀様の願いは働き続けていると言う意味であります。
迷い続けている私たちが無量に存在するのですから阿弥陀様の働きも無量でなければなりません。
たとえば、日本では通じるけれどもアメリカでは通用しない教えではだめですし、鎌倉時代までは通じるけれども平成では通用しない教えでもだめです。
「いつでもどこでも」の教えである。それが「無量光」という阿弥陀様の働きです。
たとえば、ここに百人の病人が居るとします。その中の一人がこの私で、いま大変に苦しんでいます。
そこへ名医が現れて、「皆さんの病気を治します。苦しみから救ってあげます」と云います。嬉しいですね。
ところがその医者が、「ただし百人全員を助けることは無理です。」と云ったらどうでしょうか?
そうなればそれはけっして「救われた世界」ではなくなるのですね。
それでも「全員が救われないまでも、救われる可能性があるのだから良いではないか」と云う人がいるかもしれません。
でもその考え方は所詮「人ごと」なのですね。
この私自身の真剣な問題であれば、「ひょっとして救われる方に入るかもしれない」ではだめなのです。
「間違いなく、もれなく救われる」世界でないとだめなのです。
この間違いのない救いの世界が、「無量光」と讃えられる阿弥陀様の本願の働きなのです。

   ◇◆◇

○無辺光=さかいのない光
つぎは「無辺光」です。
無辺の辺は「ほとり」「さかい」という意味ですから、「ほとり、さかいのない光」という意味になります。
私たちの世界ではとかくものを区別したがります。
たとえば「富める者と貧しい者」「賢い者と愚かな者」「男と女」といった具合です。
先ほど(前号)のたとえで申しますと、医者が「皆さんの病気は治しますが、女性だけです。」とか「小児科医ですので年寄りはだめです。」などと云われたのでは、「間違いなくこの私が救われる世界」ではなくなります。
一切の区別なく、平等に働きかけてくださるのが、「無辺光」という阿弥陀様の光の働きなのです。

○無碍光=さわりのない光
つぎに「無碍光」という光の働きです。
無碍の碍とは「障害ーさわりー」という意味で、「なにものにも邪魔をされることのない光の働き」という意味になります。
一般的に宗教の救いというのは、ほとんどが条件付きであります。「定められた戒律を守った者」とか、「神の意志にかなう者」などといった条件です。
もっとも「貢ぎ物を多くした者」とか「信者を多く獲得した者」などを条件とするあやしげな宗教は、もはや宗教とはいえないでしょうが、仏教でも自力聖道の教えをはじめとして、やはりさとりを得るためには厳しい条件が付きます。
ところが、阿弥陀様の救いには一切条件が付かないのです。
どんなに悪人といわれる人であっても、罪の深さにうめいている人であっても、ひとたびこの光にふれるとき新しい「いのち」に生まれ変わることができるのです。
歎異抄の中で親鸞聖人が「念仏者は無碍の一道なり」と仰るのはここのところです。
さきほどの医者のたとえでいいますと、「皆さんの病気は治しますが、今まで一度も嘘を付いたことのない人に限ります。」などといわれればこの私は絶望です。
けれど阿弥陀様の働きには、一切の条件が付かないのです。ひとたび光の内に入れば、これまでのどんなことさえも障害とはならないのです。
これが「無碍光」という光の働きです。

○無対光ーくらべるもののない光
今回の最後は「無対光」という光の働きです。
無対光とは「対するものがない」つまり「比べるものがなく最高に優れた光」という意味です。
薬師如来や大日如来、観音菩薩や勢至菩薩などすぐれた仏さまや菩薩さまが沢山おられます。
けれど阿弥陀様の光の前にあっては「みなことごとくおおわれて、さながら墨のごとくなり」といわれるように、他の仏さまのどのような働きも全て含めて働きかけてくださるのが阿弥陀様なのです。
お経には「諸仏諸神(全ての仏様や神様)がそろって阿弥陀様を讃えておられる」と述べられています。
「病気の貴方を救う」と云う医者がいても、「もしもこの医者よりもっと良い医者が居るのでは」という疑心があれば、やはり「間違いなく救われる」という世界ではなくなります。
「この医者ならばこそ私の病気が治せる」という比較することのない世界でなければなりません。
迷えるこの私には最高で最勝の法が南無阿弥陀仏の念仏の世界であると働きかけてくださるのが、「無対光」という光の働きです。

(7月例会住職法話より)

梅鶯仏教壮年会報 第23号・24号

○正信偈を味わう(1)
「帰命無量寿如来 南無不可思議光」。阿弥陀さまにすべておまかせいたしますという親鸞聖人の信心の表明から始まる正信偈は、次に「法蔵菩薩物語」と呼ばれる8句が詠まれています。
私たちが今いただいているお念仏の教えは、親鸞聖人が明らかにして下さったものですが、もちろん親鸞聖人がかってにつくりあげられたものではなく、お釈迦様の教え、仏教に基づくものです。
その教えは法事などでよく勤められる仏説無量寿経というお経の中で説かれております。
したがって、仏説無量寿経は浄土真宗の根本経典でありますが、同時に、お釈迦様の最終的な目的がこのお経を説くことにあったのだと親鸞聖人は明らかにして下さっています。
その仏説無量寿経の中に、阿弥陀さまが、まだ仏様と成られる前に法蔵菩薩と名乗っておられ、その法蔵菩薩さまがどのようにして阿弥陀様と成られたかが、詳しく説かれています。これを法蔵菩薩物語と呼び、「法蔵菩薩因位時」から「重誓名聲聞十方」までの8句は、そのことを親鸞聖人が喜びの詩として詠まれているのです。
それではまず、その8句をできるだけ平易な言葉で意訳してみましょう。

○法蔵菩薩物語
法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所
覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪
建立無上殊勝願 超発希有大弘誓
五劫思惟之攝受 重誓名聲聞十方


【阿弥陀如来さまがむかし法蔵と名のる菩薩さまであったときに、法蔵菩薩さまの先生であった在世自在王仏という仏さまのところで教えを請われ、あらゆる仏さまがたの世界の成り立ちや、その世界の人たちの善いところ悪いところをつぶさにお聞きになって、この上なくすぐれた願い(四十八の願)をおたてになり、世にもまれなる大いなる誓い(念仏して全ての者が救われなければ、自分自身も仏と成らないという誓い)をおこされました。
それは計り知れないほどの長い時間をかけて考えぬき、修行をして、この願いと誓いを選び取られたのです。
そしてこの願いと誓いを改めて表明し、「わたしの名前、すなわち南無阿弥陀仏の名前が、あらゆる世界の人々に聞こえさせ、全ての迷いの人々をさとりの世界に至らせる」と重ねて誓われ、仏と成られました】
意訳文を聞いても、なにかおとぎ話を聞いているようで、すぐにはなじめませんが、例えば「浦島太郎」や「桃太郎」のお話をそのまま聞いている限りでは、「人の恩」や「いのちの大切さ」といったことが聞こえてこないのと同じように「法蔵菩薩物語」もその物語が語る真実性を味わなければなりません。

○五劫・兆載永劫の時間の長さとは?
まず、法蔵菩薩さまが、「計り知れないほどの長い時間をかけて考えぬき、修行をして」とありますが、お経ではその時間を「五劫の間」とか、「兆載永劫の間」と説かれています。
この「五劫」や「兆載永劫」というのは、インドの人々が考え出した時間の長さの単位であり、「劫」という時間は、「四十里四方の岩盤(富士山の40倍ほどの岩)を三年に一度、天人が羽衣で一回さすり、それを繰り返して岩がすり減り無くなるまでの時間」であると経に記されております。
「五劫」ですからさらにその5倍の時間となり、気の遠くなるような時間の長さです。
つぎに「兆載永劫」ですが、一十百千万と続く数字の単位は、やはり中国で使われていたもので、億、兆のつぎに京、垓、杼、穣、溝、澗、正、載と続き、最後の無量大数という単位まで続きます。
「兆載永劫」は、その「兆」と「載」の単位を掛け合わせた数ということで、こちらのほうも、とてつもない長い時間ということになります。
要するに五劫や兆載永劫というのは、私たちの日常的な感覚を超えた無限の時間を表します。
これは一体どういうことなのでしょうか。
そこには法蔵菩薩さまの本願成就の深い真実性が込められています。

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法蔵菩薩さまが阿弥陀様となられた経緯を「法蔵菩薩物語」と呼び、それを親鸞聖人が喜びの詩として詠まれているのが「法蔵菩薩因位時」から「重誓名聲聞十方」までの8句です。
その内容は、法蔵菩薩様が「五劫」や「兆載永劫」といった、私たちの日常感覚では計り知ることのできない永い時間をかけて、「全ての迷いの人々をさとりの世界に至らせる」という願いを立て、成就せられたということですが、ここまでは前号でお話ししました。
それでは、「五劫」や「兆載永劫」といった、私たちの日常感覚を超えた時間とは一体何を意味するのでしょうか?

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○真実のせかい
例えばこのような表現を思い起こして下さい。
「親の恩は海よりも深く、山よりも高し」
「命の尊さは地球よりも重し」
「あなたへの愛は未来永劫のもの」
どうですか?恩が海より深いとか、命が地球より重いとか、愛が未来永劫であるなどを、そのまま理屈で考えたなら全く意味をなしませんが、「恩」や「愛」や「命の尊さ」がいかに真実であり、本物であるかを表すには端的な表現です。
真実の世界は、ときとして理屈を超えたところに初めて言い表されるものなのです。
「法蔵菩薩さまが五劫の間思索をし、兆載永劫の間修行を積んで阿弥陀さまに成られた」というのは、それが「完全無欠の真理」としての真実を表現するものなのです。
一見おとぎ話に見える大無量寿経の法蔵菩薩物語は単なる寓話ではなく法蔵菩薩の誓願の結晶である「南無阿弥陀仏」が間違いなく成立したことを物語っているものなのです。
法蔵菩薩物語で語られるものは、南無阿弥陀仏の名号が針で突いたほどの欠陥もなく、完全無欠な法則として私たちに働いていることを語っているのであります。

○子が親を呼ぶ
そしてその後、さらに「わたしの名前、すなわち南無阿弥陀仏の名前が、あらゆる世界の人々に聞こえさせ、全ての迷いの人々をさとりの世界に至らせる」と重ねて誓われるのです。
完全無欠の救いの法則ができあがったのに、なぜまた改めてわざわざ「わたしの名前を、人々に聞こえさせたい」と誓われたのでしょうか?
それは、幼子が親の名を呼ぶことを思って下さい。
ある子供の言葉に、「おかあちゃん なんでもないけど ただ呼んでみただけ」というのがありました。子供が「おかあ〜ちゃん」と呼ぶ。母親が「な〜に」と応える。子供はそれだけで良いのです。
親の子に掛ける願い。その願いに全幅の信頼を寄せる気持ちが「おかあちゃん」の呼び声の中に全て含まれているのでし ょう。
阿弥陀さんが自分の名前を呼ばせようとするのは、「私にまかせよ」の願いが全てその中に含まれていることなのです。
母が子供に「ここにいるよ」と呼びかけます。その親の呼びかけへの答えが「南無阿弥陀仏」のお念仏なのです。
「南無阿弥陀仏 親を呼ぶ声 親の呼び声」という言葉があります。南無阿弥陀仏は私が称えているようですが、実は南無阿弥陀仏という親の呼び声であったのです。そのことを親鸞聖人は8句の中で悦ばれています。
5月例会住職法話より

2006年02月08日

梅鶯仏教壮年会報 第8号・第9号から

○正信偈 心の拠り所
昭和の名横綱で土俵の鬼と言われた「初代若の花」が、初優勝を成し遂げて絶頂期の時に、勝雄ちゃんという幼子をちゃんこ鍋で大やけどをさせ死なせるという大変な出来事がありました。
悲しみの内に葬儀となり、適当にお坊さんを頼んでお経が始まったのですが、悲しみに暮れていた若の花が突然、『そのお経は違う。きみょうむりょうでないとダメだ。俺の息子は、きみょうむりょうでないとダメなんだ。』と叫んだそうであります。そこで改めて浄土真宗のお寺さんに頼んで、葬式をやり直したというエピソードがあります。
若の花が正信偈を浄土真宗のお勤めとして知っていたわけでも、いわんやそのお経の内容を知っていたわけではないと思います。若の花は真宗門徒の多い北海道室蘭出身で、多分幼い時から、家族一緒にお仏壇の前でよく正信偈をお勤めしていたのだろうと思います。
それがいつの間にか心の拠り所となっていたのです。正信偈はそれほど真宗門徒にとって親しみ深く、馴染みのあるものなのです。
正信偈は親鸞聖人の南無阿弥陀仏様と出会えたことの悦びの詩であり、お勤めしているとなにか心温まる、嬉しいときにはより嬉しく、悲しいときはなにか慰めれるような気がします。やはり、阿弥陀様やお釈迦様、そして親鸞様から呼びかけられているような、そんな気がするのではないでしょうか。

○正信偈120句の構成
だからといって意味は関係なくただ呪文のごとく称えておれば良いというものではありません。
より悦びを深めるためには、その内容を知るにこしたことはありません。
正信偈は120句からなる漢詩ですが、大きく三段に区分けすることができます。
その第一段は最初の2句「帰命無量寿如来 南無不可思議光」で、帰敬序と呼びます。
これは、「無量寿である如来、不可思議光である如来に全てをお任せいたします。」という親鸞聖人自らの信心の表明であり、この2句に正信偈の全てが集約されているといっても過言ではありません。
そして、次の「法蔵菩薩因位時から難中之難無過斯」までの42句は第二段で、仏教という真理をお悟りになられたお釈迦様の教えをもとに悦びを詠われております。
そして最後の第三段は「印度西天之論家から唯可信斯高僧説」までの76句で、これはお釈迦様以降、インド、中国、日本とお釈迦様のお念仏のみ教えを正しく伝えてくださった七人の高僧の教えに基づき悦びを詠われています。この七高僧は「龍樹菩薩、天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師、源信和上、源空上人(法然上人)」で、そのお名前は全て正信偈の中に出てきます。一度改めてご確認下さい。
正信偈に書かれている内容については、今後折に触れて味わっていきたいと思います。

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○帰命無量寿如来 南無不可思議光
正信偈の最初の二句は帰敬序とよび、正信偈の全てが集約されているといっても過言ではありません。「無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつる」と読みますが、無量寿如来も不可思議光も、ともに阿弥陀様の呼び名であります。そして、「帰命」も「南無」も、全く同じ意味で、ともにまかせるという意味です。
蓮如上人が御文章に「南無の二字は帰命のこころなり。帰命といふは、もろもろの雑行をすてて、阿弥陀仏後生たすけたまえと一向にたのみたてまつるこころなるべし。」と仰られてますが、南無も帰命も阿弥陀様にすべてを任せてたのむということです。

○「たのむ」のこころ
そこでこの「たのむ」という意味を少し味わってみます。現在使われている「たのむ」という言葉は、通常、人にものを依頼する時に使いますが、この場合必ずしも相手が私のことを考えているとは限りませんし、必ず引き受けてくれるとは限らない場合にも使います。むしろ、その使いかたの方が多いかも知れません。
じつは、もともとの「たのむ」という日本語は、「頼る。頼もしく思う」という意味で、相手に全てを託すことができる時に使う言葉なのです。例えば、おばあちゃんが葉書を出しに行こうとしたとき、いつもおばあちゃんに対して優しい孫が、「葉書出すなら、ぼくが自転車で出してきてやる。」と云った。そこでそのおばあちゃんは云います。「ほうかすまんな ほなたのむわ」。これが本来のたのむなのです。
こちらからお願いしたわけではなく、孫の方から掛けてくれた心なのです。
また、「本当にポストに入れてくれるだろうか?」なんて少しも疑う必要がないのです。全てを任せきれる。これが「たのむ」のこころなのです。
浄土真宗の「たのむ一念のこころ」というのも、私の方からの願いではなく、「任せよ」という阿弥陀さまの呼びかけに、「お任せします」と返事することなのであります。

○阿弥陀様のはたらき
つぎに「無量寿如来」も「不可思議光」も、ともに阿弥陀様の呼び名ですが、深い阿弥陀様の働きをあらわしています。
無量寿とは「限りのないいのち」、不可思議光とは「計り知れない光」という意味で、時と場所に限りがない仏さまの働きということです。
例えば親鸞聖人の時代の人は救われても、今の世の人は救われないではダメです。また日本では救われてもアメリカでは救われないというのもダメです。
嬉しいときも悲しいときも、寂しい夜道でも賑やかな人混みの中でも、日本でも外国でも、昼でも夜明けでも、とにかくどこにいてもどんなことをしていても私の前に現前とおってくださる。それが阿弥陀様なのです。

○親鸞様の歓喜の声
親鸞様は仏になるための道を、9歳から29歳までの20年間、比叡山において命がけで求め続けられました。
しかしどうしても「生死(まよい)出ずべき道」を見つけることができず、悲嘆のどん底にあるとき、法然上人との出会いの中でお念仏のみ教えに逢われました。それは、阿弥陀様の任せよとの呼び声でした。
どんなに大きなよろこびであったことでしょうか。
その歓喜の声が、「帰命無量寿如来 南無不可思議光」なのです。

1月31日例会  住職法話より