2019年04月19日

新年のご挨拶  会長 森勝昭

新年明けましておめでとうございます。

 会員の皆様、ご家族の皆様、新しい年を穏やかにお迎えのこととお慶び申し上げます。
 毎年毎年、災害のない年にと願っていたのに昨年は、岡山・広島地方の豪雨、北海道地震、米原市(北方・夫馬・朝日)では竜巻が発生、そして台風二十一号、二十四号と大きな災害が起きました。
 いつどこで何が起きるかわからない日本列島です。日頃から備えておかねばなりません。
 梅鶯仏壮は、年間行事として例会の他、別院めぐりは大阪津村別院・大谷派の難波別院に参拝し、大坂城内にある蓮如上人さまゆかりの地、石山本願寺址の散策など良き思い出を頂きました。たぶん昔の宇賀野梅鶯仏教青年会の方々も歩かれたことと思います。
 年末には恒例の竹灯篭の夕べ、皆で正信偈を元気よくお勤めした後で住職の法話を聴聞し、楽しみのお斎は手造りの火鉢で豆腐田楽焼き、おでん、持ち寄りのつけものなどで、この一年間の元気な自分や、命を頂いている多くの食べ物に感謝しました。
 四月三十日で平成時代が終わろうとしています。
 昭和天皇がご崩御されてから三十年自分は何をして来たのだろうかと反省ばかり・・・。
 長浜別院の世話係として十年が経過しました。教区内の講師様の親鸞聖人のみ教えや高僧方 々のみ教えのお取次ぎを聴聞しますと少しは仏法が伝わって来るような気になります。
 今年は後期高齢者の仲間入りです。一日一日を大切に生きていきたいと思っています。
 余談ですが、新年からNHK大河ドラマで「いだてん」が始まりました。主人公の金栗四三さんは、明治四十五年ストックホルム五輪に日本人で初めて出場された方ですが、くしくも新年三日夕方に震度六弱の地震が発生した熊本県玉名市和水町(なごみまち)出身です。
 熊本県は私の故郷でもあり、金栗氏の偉人伝は子供のころ聞いていたのでドラマ化を楽しみにしています。
 最後になりましたが、今後も梅鶯仏壮の輪が広がり、気楽に例会・各行事に参加頂き、今年も良い年になりますことを念じ上げ新年のご挨拶とします。


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2019年01月30日

「研修旅行雑記」 北村喜代信

 仏壮研修旅行は一年に一度の恒例行事ですが、普段の生活の場、宇賀野を離れて別の土地に行き、そこで梅鶯仏壮の皆さんと行動を共にし、一緒に時間を過ごせることは、今の私の楽しみの一つとなっています。
 企画立案頂いた森会長、田中薫さん、そして同行頂いた皆さまに心より感謝申し上げます。
 ところで、旅行は私の趣味の一つでもありますが、旅行はなぜ楽しいか、つらつら考えてみました。
 別段、毎日の生活に不満があるからでもないし、何かから逃げ出したいからでもない。しかし、日々の暮らしは平々凡々で、坦々としてなんということもなく過ぎていきます。全体としてゆったりと穏やかに物事が流れていくのが暮らしの基本となっています。日々大過なく暮らしていくのもなかなか疲れることであります。
 そこで、時々ほんの少し自分でないものになってみる。生活を忘れ、非日常の方へ行く。「広辞苑」は旅という言葉を「住む土地を離れて、一時他の土地に行くこと」と定義しています。旅は非日常であり、毎日の生活の枠から離れる非生活なのです。
 やはり、日常では味わえないことを体験するのは、よい気分転換になります。また、旬のものやその土地のものを美味しく頂いたり、有名な建築物やその土地の文化にふれたりできるのも魅力であります。
 旅は別人格へのいざないでもあります。私は、おカタイ律儀者と云われていますが、そんな私が旅に出ると性格が変わるのをしばしば体験します。最悪の場合は「旅の恥はかき捨て」とばかり行儀の悪い別の人格が出てきます。
 それほどでなくても、旅には放免感が付きまといます。
 と、いろいろありますが、結局のところ旅行によって普段の自分からの解放が少しだけ実現することができる。
 ですから旅先の出来事は後になって振り返ってみるとすべて楽しいものに思えます。これからも私の旅は続きます。 了
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2018年10月21日

大阪の街は「大坂本願寺」寺内町からはじまった  光専寺 堤辰也

 ご縁あって9月24日・25日に実施された梅鶯仏教壮年会(坂田組正行寺仏教壮年会合同)研修会に参加させて頂きました。
 最初に、本願寺津村別院へ参拝しました。
 本堂へつながる石段は壮観で登って山門をくぐると正面に西洋風の立派な本堂が御堂筋を見下ろすように立っていました。
 参拝当日は、秋季彼岸会が営まれており、別室にて皆でお勤めをした後、木下慶心輪番からご挨拶を頂き、後に津村別院の歩みなど丁寧に説明をいただきました。
 明応5年(1496)本願寺第8代宗主蓮如上人の手により、大坂(大阪)にお念仏のみ教えを広めるため、現在の大阪城のあたりに、「一宇の坊舎」(後の石山本願寺)を建立されたのがはじまりで、その後坊舎の周辺には寺内町が造営され発展したそうです。
 しかし、織田信長との長い争い(石山合戦)により、本願寺は大坂を離れることとなり、大坂の門徒は、この地での「お念仏」の灯りを守るために 「楼の岸」に新しい坊舎を建立し、その後、「津村郷」と呼ばれていた現在の地に移り、その後、津村御坊は「北御堂」と称され、大阪の々に親しまれ今日に至っています。
 また、御堂さん近くに、篤信の門徒(近江出身の商人など)が集まり、大阪の商業の中心「船場」の町を築いたそうです。
 最後に本堂の前にて木下輪番様と一緒に記念写真を撮って津村別院を後にしました。
 その後、東本願寺難波別院(南御堂)を参拝し、蓮如上人ゆかりの地「大阪城」へと移動し、壮大な石垣や石山本願寺跡などを見学、天守閣まで登りました。
 夜は美味しい「割烹海老蔵」の海鮮鍋と美酒をいただき会話が弾みました。
 二日目は、昼食までに北村幸雄氏と聖徳太子が建立した四天王寺へ参拝してきました。
 最後になりましたが、お世話になりました梅鶯仏壮会長の森様はじめ皆様方に感謝申し上げます。合掌
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特別寄稿(2) 甲賀組光林寺住職 青木千義(龍谷大学財務部長)

ある夏休みの一日

 長野ご尊住には、ご在職時もご退職されてからも本当にお世話になっております。
 私も本会報を発刊された当初から毎号楽しく拝読させていただき、本壮年会の皆様方の熱心なご活動を拝見し、自坊の仏壮への取り組みに対しましても、いつも沢山の刺激をいただいていることであります。
 私も50歳を過ぎ、論語の「50にして天命を知る」が由来である、「知命」と呼ばれる年齢になりましたが、なかなか天が与えた使命を自覚するまでに至らず、日々反省の毎日を送らせていただいていることであります。
 お陰さまで、私をこの世に生んでくれ育ててくれた親は、両親ともに元気な毎日を過ごさせていただいております。
 今年のお盆過ぎの夏休みのことでありますが、毎日を家で過ごすことの多い両親を温泉にでもと思い立ち、三重県の「なばなの里」の温泉に一緒に行きました。新名神が開通したお陰で、私の家からは1時間程で行くことができます。
 無事に着いたのはいいのですが、「なばなの里」は普通の日帰り温泉とちょっと違って、園内は広く、レストランに行ったり温泉施設に行くにはそこそこの距離を歩く必要があります。そのことを知った父親は、「わしはここで待っている。歩くのは足が痛いからかなん」と言い出しました。
 80歳を超えていることもあり、最近歩くと足が辛いことは知ってはいたのですが、そこまで悪かったのかと初めて分かりました。戦前生まれの人間なので「しんどい」「痛い」などの弱音を吐かない父親がそこまで言うのはほんとに辛いんだと思い、受付で車イスを借りることにしました。
 最初は、「こんなもの乗るのなら帰る」と子供のようなこと言ってましたが、何とか説得して乗ってもらうと、足の辛さから解放され思いの外に快適だったのか、帰り際には車イスまで先に行き、腰を下ろし押してもらうのを待っているようなことでした。
 お釈迦さまが向き合われた、人間が免れることのできない「生老病死」の現実。毎日両親の姿を見ている私でさえ、近頃は年を取ったなと思うことであり、一緒に暮らしていない私の姉や弟は尚のことであると思います。
 両親が、身を持って私に教えてくれている「人間は必ず老いる」ということ、そして「やがて命尽きる時が必ず来る」ということを自分の事として受け止めて、ついつい日常に流されて忘れていることが多い中で、「生かされていることへの感謝」と「私をこの世に産んでくれた両親への感謝」の気持ちを思い起こさせて頂いた私の夏休みの一日でありました。 合掌
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特別寄稿(1) 京都市 田村富美子

 梅鶯仏教壮年会報も150号に到達、誠におめでとうございます。
 この会報を通じて、私も皆様のご活動を身近に感じさせてもらい、共に味合わせていただき心から有難く思っております。
 私は古希を過ぎましたが、健康に多少の不安を抱えながらもお蔭様で平穏に過ごさせていただいております。
 そんな私に昨年の春、悲しい出来事がありました。私にとって、大切な方、お二人がお浄土に還られました。そのお二人とは50年来の師と友でありました。
 お二人どうしの接点はないのですが、私が日々のお買い物の道中でそれぞれ別々に偶然にもお会いすることがあり、それぞれに同じコーヒーショップでお互いの近況を語り合い楽しいひと時を過ごしてきました。私の退職後10年ほどずっと続いておりましたが、お二人とも1週間足らずの患いで亡くなりました。寂しい限りです。
 命あるものは、必ず死を迎えることになります。しかし頭では分かっていてもなかなか心が追い付いてきません。
 信楽峻麿先生はご遺稿法語集の中で「俱会一処」について、「私たちもまた、おたがいに先になり、後になりして死んでゆかねばなりませんが、この『俱会一処』の教え(日頃によく仏法を学んで念仏を喜んでいる人、念仏を申す人に限って浄土にゆくことができ、ともに会うことができるという教え)をしっかりと学んで、もしも自分が先に死んでゆく場合には『浄土で待っている』」といい、また身近なものの死を見送る場合には、『必ず必ず浄土で会おうね』といって、お別れしたいものです。」と語られてます。
 私自身はしっかりと仏法を学ぶことは到底できませんが、朝な夕なにお念仏を唱え、生かされていることに深く感謝し、すべての人々とともにお浄土へ迎えられることを喜びあえるよう残された時間を大切にしていこうと思っております。
 最後になりましたが、皆様のお健勝と今後ますますのご活躍をお念じ申し上げ、またお目にかかれる日を楽しみにいたしております。かしこ
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就任のご挨拶  副会長 森英雄

 先般、3月31日の総会に於いて再度副会長に再選されました。
 全身全霊のもとに遂行できるように邁進してまいります。
 会員の皆さまのご協力、ご指導により、自由闊達の中で年間行事が進捗するように頑張りますので、よろしくお願い申し上げます。
 私事ですが、近江菊栄会が発足して45年が経過しました。前代会長の豊田清一氏の後任に推挙され、8年が経過しました。
 平成30年4月現在の会員数は15名で、各字別では長浜(小一条)、顔戸、日光寺、新庄、世継、宇賀野(6字)にて運営しています。
 菊花展は、11月1日〜11月15日の2週間設定し、会場は近江公民館(東側)にて実施しています。 出品品目は大菊・ダルマ(3鉢の部)福助・嵯峨菊(3鉢の部)赤白黄、盆栽の部、小菊の部、就技花(1鉢の部)の7部門です。
 審査方法は全国菊花展認定者の方により各部門の審査規定に準ずる方法で採点され各賞が決定されます。
 滋賀県知事賞・中日新聞社賞 ・市長賞・湖北菊花連盟賞が授与されます。
 活動内容は年7回森作業場にて土作り〜さし芽〜定植〜出品〜年越作業の順で年間作業計画に基づき実施しています。
 「根気」「頑気」「やる気」のある方参加してみませんか。森まで連絡ください。
 最後になりましたが、いつもお世話になっていますご住職坊守様にはあらためて御礼申し上げます。合掌
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2018年04月19日

会長就任のご挨拶 森勝昭(釋勝俊)

 三月三十一日の総会に於いて会長を再選され、未熟な我が身を省みず引受けしました。
 平成十五年六月一日にお念仏を悦び、互いに親睦を深め合うことを目的として、梅鶯仏教壮年会を設立して早十五年が経過しました。
 全国仏教壮年会の綱領は、自らの生き方を親鸞聖人のみ教えに聞き、ともにお念仏申す朋友の輪をひろめ、心豊かに生きる社会の実現を目指しますとあります。
 まだまだ未熟な私ですが、住職様のご指導、会員様方々のささえがあったので今日まで活動を続けて来られました。
 例会、別院めぐり、お寺の法要の参拝やお手伝いなどを通して仏縁を深めてきました。
 坂田組・滋賀教区の仏壮活動に積極的に参加して来ました。
 そのおかげで多くの法友や仏縁に出会えて少しは成長し見聞を広めることができました。
 少子高齢化により、どこの組織もその運営や維持が難しい時代となっています。
 我が梅鶯仏壮も設立からほぼ同じメンバーで高齢化しつつあります。
 私達には、若い次の世代に声掛けし会員になって頂く大切な任務があります。
 私は、本願寺長浜別院の世話係(小使い)を平成二十一年三月より勤め、今年で十年目を迎えました。
 毎月五日と十六日の常例法座、三大法要、降誕会、夏中会、報恩講など、県内各組のご講師の法話などで知らなかった事や、初めてそんな世界があったのかと聴聞させて頂きました。
 お参りされている方々の顔ぶれがすっかり変わり、時の流れを感じます。
 どうか皆さんも別院まで足を運んでご縁を頂いて下さい。
 本年度の別院めぐりは、大阪の津村別院(北御堂)と南大阪地方の散策を立案しています。どうか今から心の準備をお願いします。
 これから三年間どうぞ宜しくお願い申し上げます。合掌
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新年のご挨拶  会長 森 勝昭

 新年あけましておめでとうございます。
 皆様におかれましては、平成三十年の輝かしい新年をお迎えのことと、お慶び申し上げます。
 昨年は、定例会・一泊研修旅行は神戸別院参拝など梅鶯仏教壮年会の諸活動にご参加を頂き,誠に有り難うございました。
 年末には恒例の竹灯籠の夕べを行いました。手作りの用具で豆腐田楽を焼き、今年も田中薫様からは前日から仕込みされた、プロ並みのおいしいおでんを頂き、この一年間の反省をしました。
 昨年は、国の内外ともに激動の一年でした。七月には九州北部の記録的豪雨による被害、その前の年は、熊本中部地方の巨大地震が起き、自然災害の恐ろしさを知らされました。
 世界に目を向ければ、宗教・民族の対立におけるテロや政府軍と反政府軍の対立で多くの命が失われています。
 命の大切さ、尊さを大事にする世の中になってほしいものです。
 私達は仏教壮年会の活動を通して、本当の幸せ、本当の豊かさは何なのかを研鑽して、仏法に出会い、仏縁を深めて行きたいものです。
 梅鶯仏教壮年会は平成十五年六月一日に設立して今年は十五年目の節目となりました。
 まだまだ未熟ですが、法輪寺住職長野了法様のご指導の下、気楽に参加して尊いご縁を頂きながら、「明日から」「そのうち」と云わず「今」を大切に生きたいものです。
 梅鶯仏教壮年会の輪の広がりを願いながら、今年も素晴らしい年になりますように念じ申し上げ新年のご挨拶と致します。  合掌
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別院めぐりと、その足跡を訪ねて 会長 森 勝昭

 平成二十九年三月二十五日の仏壮総会に於いて、事業計画の中に神戸別院研修旅行(九月二十四日・二十五日)の件が提案され決定されました。
 その研修旅行の感想については、北村幸雄氏が前号(会報一四四号)にて報告されていますので、ここでは省略させて頂きます。
 今回も、田中薫氏に素晴らしい旅行ツアーを計画して頂き、楽しい研修旅行が出来ました。
 仏壮の別院巡りは、平成十九年に金沢別院、平成二十四年に築地本願寺参拝等を行ってきました。
 このことは、法輪寺前住職長野髢@様が輪番や副輪番を勤められたご縁のある別院巡りで、その足跡を追っています。
 仏壮会報における、「梅鶯のルーツを訪ねて」の記事の中で、梅鶯仏教青年会の活動記録にありました聖跡巡拝旅行は、昭和二十三年から昭和三十七年まで行ったとありました。
 昭和三十年九月十・十一日に奈良・大阪の寺院めぐり、有馬温泉 ・宝塚見物の研修旅行をされています。
 男性六名、女性十一名、米原駅を朝の五時五十五分発の列車に乗車し、有馬温泉泊まりと、当時の交通機関利用で、さぞかし強行日程だったと思われます。
 梅鶯仏教青年会の熱意が伝わってきます。
 その後を追うように、今の梅鶯壮年会も、本山参り、別院めぐりなどを続けております。
 これからも、各寺院や別院めぐりを行って見聞を広め、お金には換えられない貴重な体験をしていきたいと思います。
 蓮如さまは、仏法は若い時に聴きなさいと説いておられます。
 聴聞を重ね仏教は心の教えであることを受け止め歩み続けていきたいと思っています。合掌
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神戸別院を訪ねて 北村幸雄

 昨年から楽しみにしていましたモダン寺と呼ばれる本願寺神戸別院に参拝、という梅鶯仏壮研修旅行に行ってまいりました。
 別院に到着して、その外観を仰ぎ見て「まさにモダン寺」とまずは納得。
 日本のお寺らしからぬお寺と言えば以前参拝した築地本願寺を思い出すのですが、ここ神戸別院もまた同様にインド古代仏教建築様式を色濃く反映した建物でした。
 中に入り、お内陣を拝見するとここもまた日本のお寺らしからぬデザインで、その斬新さ、綺麗さ色彩の鮮やかさ、に感動です。
 初めに長野ご住職を導師として正信偈をお勤めした後、杉本輪番さまから神戸別院の概略をお話し頂き、その後別院に勤務されている顔戸西證光寺出身の山月融心さんから詳細なご説明をいただきました。
 お内陣は昭和5年旧本堂造営にあたり、本願寺第二十二代大谷光瑞ご門主の指導によって設計されたもので、太谷探検隊で得られたインド古代様式等の知識をふんだんに取り入れ、お釈迦様の一生を象徴する様々な場面や仏具よりなりたっているとの事でした。
 また、淡路神戸大震災の折にはいち早く新築復興し、神戸復興のシンボルとして市からライトアップを要請され、今も続けておられる事なども説明頂きました。
 個人的な事ですが、山月さんは坂田FCのOBで、分かった時にはびっくり。梅鶯仏壮がとりもつ縁ですね。
 サッカーを教えた子共達が成長し、このように活躍している姿を見るとなんだかうれしくなります。 
 その後は、神戸港のランチクル ーズや中華街を楽しんだ後、有馬温泉のエクシブ有馬に宿泊です。
 外湯「銀の湯」や内湯でゆっくりと一日の疲れを取り、夜は中華料理を美味しくいただき、翌日朝食はアメリカンスタイル、昼は桜正宗記念館で和食と国際色豊かな食事も十分楽しませていただきました。
 別院のお世話を頂いた長野ご住職様、魅力的な計画を立てまたエクシブをお世話頂いた田中薫様、世話方としてご苦労頂いた森会長様、北村正隆会計様、ご一緒頂いた皆様ありがとうございました。
 来年も健康でいて、仏壮研修旅行に参加できます事を楽しみにしております。       合掌
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2017年09月15日

「梅鶯」のルーツを訪ねてF終 会長 森 勝昭

 連載してきました「『梅鶯』のルーツを訪ねて」も今号で最終となります。
 そこで最後に私の感想を述べさせて頂きます。
 まずはあの時代に、よくぞこれだけの資料を残されたと、当時の梅鶯仏教青年会の役員・会員様にはただ頭が下がるばかりです。
※現在の梅鶯仏壮資料は、すべて住職がPCに保存されてます。

 結婚するまでの若い青年が仏法を学ばれた背景には、娯楽がまだ少なかったとはいえ、両親の影響や家族構成(そこには仏法を喜ぶ爺ちゃん、婆ちゃんがいた)、そしてお寺さんのご指導があったことだと思います。
 今の八十歳前後の方はこの様にして鍛えられて、お寺の総代や次の世代の者を育てて頂きました。
 今の六十歳代、七十歳代がいかにして次の世代に引き継いでいくかは大事な仕事であります。
 その意味で、平成十五年に梅鶯仏教壮年会が立ち上がって以来十三年目になり、まだまだ未熟な仏壮ですが、普段通りで背伸びせず気楽に参加して、長く続くようにと思っています。
 私自身、まだまだ勉強不足ですが、一つでも、二つでも仏縁に出逢えて感謝し、良い思い出を残して、我が人生に忘れ物がないようにと願っています。合掌  了
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「梅鶯」のルーツを訪ねてE 会長 森 勝昭

□結成十周年法要と植樹
 昭和三十一年七月二九日に、梅鶯仏教青年会結成十周年記念法要が法輪寺にておいて開催されました。
 そしてその事業の一つとして、法輪寺の境内には「ヒマラヤ杉」を、蓮成寺の境内には「モッコク(木斛)」が記念植樹された。
今でも元気に育っていますので、是非改めて拝見して下さい。

□梅鶯仏教青年会の終焉
 活発に活動されてきた梅鶯仏教青年会ですが、その記録は昭和三十七年までしか残っていません。
 先輩の方に聞きましたところ、西本願寺では親鸞聖人七百回大遠忌法要を契機として仏教壮年会設立の必要性が注目されはじめたようです。
 昭和三十七年から四十四年にかけて、各教区・組・寺で順次準備されたようです。
 したがって梅鶯仏教青年会は、西・東などの宗派の枠を超えて会を運営されて来ましたが、その運営がむずかしくなってきたものと考えられます。□ご講師の名簿
 なお記録簿には、ご講師のお名前も記載されていますので、参考までに掲載致します。
◎長野 覚了師(法輪寺)
◎長野 隆法師(法輪寺)
◎中村 裕海師(蓮成寺)
◎渋谷 了温師(了信寺)
◎寺川 幽響師(長浜 願通寺)
◎安部 大吾師(能登川)
◎鹿苑 宇由師(番場 本授寺)
◎石河 勝友師 
◎立川 大心師
◎福吉 先生
◎神田 達円師(京都)
◎小山 法城和上(山科)
◎山崎 昭見師(本山)
◎中村 又蔵師
◎吉田 瀧性師
◎片山 哲順師(栗東)
◎近藤 師
◎松岡 宗憲師(加田今安明寺)
◎松山 天渓師(本山総務所長)
◎瀬川 慶忠師(滋賀教務所長)
◎北畠  隆師
◎火山 信勝師

つづく
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「梅鶯」のルーツを訪ねてD 会長 森 勝昭

□梅鶯仏教青年会の活動内容
 昭和二十三年に発足された「梅鶯仏教青年会」の活動内容について述べてきましたが、今号では聖跡参拝旅行について報告します。

○聖跡参拝旅行
 聖跡参拝旅行は、昭和二十二年から三十三まで毎年行われていました。(三十四年から三十七年までも参拝旅行はされていたようですが、残念ながら記録に記載がありません)
 訪問先は、先ずご本山にお参りしてから行き先はいろいろだったようです。
 比叡山・石山寺・三十三間堂・日野別堂・青蓮院・嵐山・大映撮影所・専売局京都工場、遠くは金沢別院・東尋坊・永平寺・吉崎御坊・城崎温泉・天橋立・山陰日和山・大和路(奈良)・有馬温泉などなど・・・。
 特に本山では、法輪寺前住職隆法師の案内で一般参拝者が入ることのできない場所や、拝観することのできない国宝書院などを見学することができ、特に飛雲閣では抹茶の接待を受け大感激されたようです。当時髢@師が本山に務めておられたお蔭であったからだと思います。
 現在の梅鶯仏教壮年会も、現住職了法様のお蔭でいろんな寺院を訪れたり、様々な先生方と対面・対話させて頂き、心に残る思い出をたくさん頂いております。
 築地本願寺では応接室でお茶の接待を受け、金沢別院や薬師寺・東大寺では特別拝観をさせて頂きました。
 また龍谷大学図書館では大谷探検隊がシルクロードから持ち帰られた出土品を見せて頂き、龍谷ミ ュージアムでは副館長様直々にご案内を頂きました。
 これからも聖跡参拝研修旅行を通じて人生の宝物をお互いに残させて頂ければと思っています。つづく
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2017年03月07日

「梅鶯」のルーツを訪ねてC 会長 森 勝昭

□梅鶯仏教青年会の活動内容
 会の運営資金捻出のため、「映画会」が催されていたことは前回に報告致しましたが、その他にも石けんを名古屋まで仕入れに行って、字内で売り歩いたり、田んぼの起耕作業、さらには托鉢など今では考えられないほど苦労されています。
 青年だったからやれたのでしょうが、それにしても当時の梅鶯仏教青年會の組織がガッチリしていたことに感心いたします。

○日曜学校
日曜学校のお世話もされていたようで、特記事項としては、親鸞聖人七百回御忌法要期間中の昭和三十六年四月十二日に、日曜学校全国少年指導者大会において表彰状を受けられています。
 趣味(余興)の会として若者が寄り集まり、「二重の扉」「カルタ・トランプゲーム」「ジャンケンクイズ」などを楽しんでいたそうで、それが日曜学校に役立ったようです。

○敬老会
 活動の一つであった「敬老会」の記録をそのままご紹介します。
 『昭和三四年七月三十日午前九時より、法輪寺にて終日敬老会(数え七十歳以上)を催せり。敬老会四十四名招待せり。又一般の人の御詣り多く御堂は満員の盛会なり。昼食は豆腐の奴その他にて会食をなす。神田達円師の法話後、理事長が紙芝居「稲村の火」を演じ、レコードコンサートを行う。夜の説教あり。これ又御堂満員の参拝者ありたり。』
 盛況さがありありとよく見えてきます。

○聞法旅行
 記録には、親鸞聖人の七百回大遠忌法要や本山念仏奉仕団、さらには聖跡参拝旅行のことも記載されています。
 次回では、聞法旅行について少し詳しく報告します。  つづく
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仏壮研修旅行を振り返って 北村新一郎

 平成28年度、梅鶯仏壮の研修旅行が、森勝昭会長、田中薫様のお世話により行われました。
 参加者12名は9月24日・25日一泊二日の日程で、初秋の京都・奈良への旅を満喫しました。
 まずは、西本願寺への参拝です。
 その後、龍谷ミュージアムで当日から開催の第25代専如門主伝灯奉告法要記念特別展『浄土真宗と本願寺の名宝ー受け継がれる美とこころ』を鑑賞しました。
 木田知生館長直々にお出迎えを頂き、石川知彦副館長からは丁寧で分かりやすいレクチュアーを頂きました。
 その後、龍谷大学響都ホールにて、全盲の弁護士竹下美樹氏、宗教評論家ひろさちや氏による「心の講座」を受講致しました。
 ひろ氏は「阿呆のすすめ」という演題で話され、その軽快なリズムでの話の最後は「ソノママが良いんです」との結論でしたが、雑念の多い私には「ソノママ」では正直生きられそうにありません。
 研修会を終えて夕食会は、薬師寺の村上大胤管長様やひろ氏を交えて、おいしい料理を頂き、酒を酌み交わしながら和気あいあいと和やかな宴会となりました。
 翌25日は全員爽やかな朝を迎え、薬師寺に到着すると、村上管長様自らが前庭にてお出迎え下さり、管長の奥様からは手厚いもてなしを頂きました。
 その後のお話しの中で、故高田好胤元館長様が推し進められた写経教室が全国的に広い年齢層に指示され、ボランティア活動としても続いているとのことでした。
 また、玄奘三蔵院内のシルクロード求法の旅を描いた大唐西域壁画(平山郁夫画伯30年の大作)にはとても感動致し、魅せられました。
 さらに、西塔内部に造られたお釈迦様の生涯を描かれた四面塑像の臨場感、迫力には息をのむばかりでした。涅槃の場面に猫がいない理由も始めて知りました。
 薬師三尊像には思わず合掌致しました 。
 再建に努められた故高田好胤元館長様の他、昭和の宮大工で大棟梁の西岡常一様も忘れられない方だとお聞き致しました。
 その後に訪れた東大寺の大仏様は、私自身小学生の頃に観た時よりも存在の偉大さを感じました。 
 その大仏様は、聖武天皇の頃「徳治思想」として建立され、正式名は盧舎那仏と呼び、「光の仏」として日輪、大日如来と同じ意味だそうです。
 参拝を終え門を出る時、振り返れば再び大仏殿の大きさに圧倒され感無量の思いでした。
 最後になりましたが、本研修旅行でお世話になりました皆様方には、丁寧なおもてなしと感動を頂きました。
 紙面をおかりして心より感謝と御礼を申し上げます。本当に有り難うございました。 合掌
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2016年12月16日

『梅鶯』のルーツを訪ねて(B) 会長 森 勝昭

□梅鶯仏教青年会の活動内容
[例会]
 例会は、当初毎月10日と決められていましたが、昭和26年より毎月2回開催されています。
[会報]
 会報は、昭和24年2月に 長野覚了法輪寺前々住職の執筆により第1号が発行されています。
回覧方式で碇北から順次回して会員に仏法を伝えておられていたそうです。
[行事]
4月の花祭りは毎年盛大に行われていました。
8月には70歳以上を対象とした敬老会も行われています。
その他に「戦没者追悼法要」「報恩講」や、「虫供養」「針供養」なども行われています。
[映画会]
特異な活動として、会の運営資金づくりのため「映画会」が行われています。
昭和30年7月16日に初めて有料映画会が催されました。会場は坂田小学校講堂で、映画は、
 ○「次郎長一家罷り通り」
 ○「アチャコチャンバラ手帳」
の二本立てで、料金は、
(前売券)大人30円子供20円
(当日券)大人40円子供30円
 入場者数735人の売り上げ総収入は2万950円で、お礼・税金・電気代等を支払った後の差し引き利益は1万1千170円となり、これが会の運営資金となりました。
さらに昭和33年には、
 ○「赤胴鈴之助」
 ○「俺はまっている」
 ○「チエミのサザエさん」
の三本立てが上映され、小学校講堂は超満員で、他字からも観賞に来られ大変な好評であったと記録されています。
 なお、映写機は長浜映画社や八幡別院より借りておられました。つづく
*次回以降も活動内容の紹介を続けます。
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2016年10月27日

『梅鶯』のルーツを訪ねて(A) 会長 森 勝昭

■梅鶯仏教青年会の発足
 昭和二十三年三月九日(日)、すでにこれまで宇賀野には一般的な青年会があり、その活動の一つとして、毎年演劇会が行われており、その活動に字より補助金が交付されていた。
 そのお礼として、この日、浜道農道に砂の運搬作業が行われた。
 その作業が終わってから、当時の青年会長より、会員に対して、青年会有志において仏教青年会の結成についての話があった。
 全員の賛成を得て、翌日十日にはさっそく法輪寺にて結成準備会を開く事が決められた。
 なお、ここに至るまでには、発起人たちによる何回かの打ち合わせがあったものと考えられる。

■結成準備会
 翌日の三月十日に開催された結成準備会では、規約・名簿・会費 ・名称などが協議され、以下の事が決められた。
[位置付]
 宇賀野青年会とは別途の団体とする。
[名称]
 梅鶯青年会
※ここに初めて「梅鶯」の名称が出てくるが、名前のいわれは、法輪寺前々住職の長野覚了さまが、梅が大好きであったことから命名されたと伝えられている。
[会費]
 毎月一人当たり1円まで
[会合]
 法輪寺において毎月一回会合を行う
[初代会長]
 北村和男氏
[顧問制度]
 行事の件、講師の件などの相談役として、長野覚了師、長野隆法師を顧問に推薦する。
※なお、のちに蓮成寺の中村裕海師、了信寺の渋谷了温師が顧問に加わっておられる。

■その後
 結成総会は同年四月十日に行われ、六月十日の例会にて、礼拝聖典が一冊三円三十銭にて会員八十人に配布されている。
 なお会の名称は、昭和二十四年に梅鶯青年会から梅鶯仏教青年会に改名されている。つづく

*次回では梅鶯仏教青年会の活動内容を紹介致します。
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2016年09月15日

『梅鶯』のルーツを訪ねて(@) 会長 森 勝昭

(序) 
 2003年に結成された「梅鶯仏教壮年会」の名称『梅鶯』は、由緒ある梅鶯仏教青年会の名称を引き継いだことは周知のことですが、その梅鶯仏教青年会の活動実態はあまりよく知られていません。
 この度、梅鶯仏教青年会の創設当時から深く関わられ、現在も篤信のお念仏者であります木村秋満氏から、当時の貴重な資料が森勝昭会長のもとに提供されました。
 その資料に基づき、森会長に梅鶯仏教青年会を紹介して頂きます。
 紹介内容には、当時の時代背景を彷彿させるものもあり、大変興味深いものです。<住職記>
※なお、一部住職が編集しておりますことをご了承願います。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

『梅鶯』のルーツを訪ねて(@) 会長 森 勝昭

 平成二十七年秋頃に、貴重な資料を預かった。
 昭和三十七年梅鶯仏教青年会(以下「梅鶯仏青)」)の理事長をされていた木村秋満さんから、梅鶯仏青の記録簿が残っていたのでと見せてもらった。
 表紙には、
  昭和二十二年二月起
     記 録 簿
       梅鶯青年會

と筆書きされ、その記録簿の目的として、
 「本簿ハ本曾ニ関スル諸般ノ事業ヲ記録記載シ 今後ノ發展ニ寄與スル目的ニ以テ設置スルモノナルオ銘記シ 之ガ永久的貴重ナル簿冊タランコトヲ念ジテ止マナイ次第ナリ 昭和貮拾貮年参月吉日」
と記帳があり、そこには昭和二十二年から三十七年十二月までの活動した内容が、こと細かく記帳されていた。
 戦後一年六ケ月が過ぎて、まだまだ世の中は敗戦後の混乱していた頃に、仏教青年会を立ち上げられた当時の法輪寺住職様始め、お世話された方々、会員皆さまのご苦労に感銘と衝撃を受けました。
 会員は、お西さん、お東さなど関係なく門戸を広く開けておられました。
 その記録簿の内容と梅鶯仏青の歴史をお伝えしたいと思います。自分の感想と勝手に解釈した部分があることをお許し願います。
 なお敬称を略した部分があることもご了承願います。つづく
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2016年05月17日

「金子みすず記念館」を訪ねて  田中 薫

 長年の念願が叶って、「金子みすゞ記念館」を訪ねることができました。
 実は、私にとって山口県は、2度目になりますが、最初は、随分昔に仕事での訪問だったので、ほとんど記憶に残っておりません。
 今回の梅鶯仏壮研修は、いろんな場面で心打たれる旅行となりました。「金子みすゞ記念館」に、いきなり予備知識もなく行ったとしても、少なからず感動を得ることは出来るでしょう。
 が、やはり、上山大峻先生のご自坊で、「金子みすゞ」さんに関する、先生直筆書の生解説を聴かせて頂いたことが一番の収穫でした。
 みすゞさんの、幼少時の生い立ち、彼女が仏教「浄土真宗」門徒の家庭に生まれ育ち、純粋な心が培われた生活環境、天性の豊かな感受性と文学的才能が、あのすばらしい「詩」を作り上げたこと。
 みすゞさんの代表的な詩を、わかり易く解説して頂き、普段忘れてしまっている、他者への思いやりや、感謝の気持ち、命の大切さ等が、詩を通して沸々と湧き出でてきて、自然と金子みすゞさんの世界に引き込まれ、最後は目頭が熱くなってしまいました。
 また、先生の「青海島鯨墓」へのご案内も、心に残りました。

【鯨としての生命は母鯨と共に終わったが、われわれの目的はおまえたち胎児をとることではなかった。むしろ、海へ放してやりたいのだが、広い海へ放たれても、独りではとても生きてはいけまい。それ故に、われわれ人間と同様に念仏回向の功徳を受け、諸行無常の悟りを得てくれるようにお願いする。】(照誉得定師解説) 

 日本の調査捕鯨に関して、オーストラリアのシーシェパードが、一方的に攻撃しておりますが、鯨を含む、あらゆる命に対する日本人の気持ちが、この鯨墓にあらわされているように思えます。
 命を奪ったことに関する懺悔の心と、優しい思いやりを持っている日本人がいまも大勢いることを全世界に知ってもらいたいものです。  
 今回、何かと盛りだくさんの内容と、中身の濃い研修旅行になり個人的には、とても満足いたしております。有難うございました。
 次回の「奈良薬師寺」研修も是非とも参加させていただきたいと思っております。     合掌
posted by ryoho at 10:00| 梅鶯仏壮会員寄稿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月24日

一年を振り返って 副会長 森英雄

 昨年度3月28日に平成26年度の梅鶯仏教壮年会総会が開催され、新役員が決定され、副会長に任命されました。
 任期は平成30年3月までの3年間を勤めることになりました。
 会員のみなさまには、大変お世話になりますが、宜しくご指導、ご協力、ご鞭撻下さいますようにお願い申し上げます。
 平成28年からの行事に積極的に参加し交流の輪を広げ活動して参ります。
 さて、昨年度の行事の除夜会について一言ふれさせていただきます。
 去る12月30日に会員11名の参加のもとに法輪寺本堂において梅鶯仏教壮年会の除夜会を夕方5時半から竹灯籠を始め、夜6時頃から正信偈を勤め、その後に住職の法話を聞き、引き続いて懇親会が始まりました。
 食卓に私の大好物でありますおでんが出され、あつあつの間に食味し、深くご恩を喜び感謝しながらありがたくいただきました。
 持参して下さいました田中薫様にはあつくお礼申し上げます。 日頃孫との会話の中で、食前食後の言葉(合掌)を日常生活に生かしています。
 心が安らぎ今後も接点を持ちながら続けて参ります。
 私たちは仏様に生かされている事と感謝の気持ちをありがたく喜ぶ事であり、仏様の教えでもあります。
 人と人とのふれあいを大切にムリのない楽しい人生を過ごしていきたいものです。
 最後になりましたが、いつもお世話になっていますご住職はじめ坊守様にはあらためてお礼申し上げます。
 今年もいろいろとお世話になりますが、自由闊達な中で全身全霊で邁進してまいりますので、よろしくお願い申し上げます。 合掌
posted by ryoho at 09:28| 梅鶯仏壮会員寄稿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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