2012年01月22日

被災地「宮城県」を訪ねて 住職

 去る十二月三日、東日本大震災の被災地宮城県を訪れた。
 訪問の目的は、震災発生以来延べ数百名の龍谷大学生が現地でボランテイア活動を行っており、現地スタッフへの挨拶と学生達の激励を赤松学長と共に行うためであった。
 三陸沖を震源とし、岩手県沖から茨城県沖にわたる広範囲を震源域とした東日本大震災は、地震の規模を示すマグニチュードは9.0で、地震のエネルギーは阪神・淡路大震災の数百倍から千倍といわれている。
 そしてなによりも空前絶後の大津波は、想像を絶する甚大な被害をもたらした。
 私が訪れたのは、震災から約九ヶ月を過ぎようとしていたが、その生々しい傷跡は、まだまだ随所に残されていた。
 まず空路で仙台空港に到着した。
 仙台空港が津波に襲われた時の映像は強く目に焼き付いているが、仙台空港から海岸までの壮大な平野は、いまだに「荒野」と呼ぶに相応しいすさんだ状態であった。
 もともと住宅と田畑が広がる平野であったが、住宅は壊滅し、田畑も海水に浸されていまだ草も生えていない状態である。
 仙台空港から西本願寺の対策本部が設置されている仙台別院に向かった。途中、至る所に震災の爪痕が残っていたが、最も衝撃的な光景は、海岸からはるかに離れた田んぼや道沿いに不自然に横たわる、数隻の漁船の姿であった。
 人の力で運ぶことは容易ではないであろうが、いとも簡単に流し込んだ津波の威力をまざまざと実感した。
 その後、学生達が活動する七ヶ浜町へと向かった。七ヶ浜町とは七つの浜集落からなる町で、その名の通り大変のどかな海岸線の町であったが、現在は、見るも無惨な状態に破壊されてしまっていた。
 元気に活動する学生達を励まして、滞在時関がわずか数時間という強行日程で帰路についた。
 ある人の「この震災の姿を一度もみることなく日本の将来を語る人は信用できない」との言葉に素直にうなずくことができた。同時に「震災支援はコツコツと永きに渡ることが大切だ」との現地スタッフの言葉が印象的であり、震災に関するマスコミ露出が極端に少なくなっている現実が大変心配である。
posted by ryoho at 17:56| 会報記事ひろいよみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする