2020年01月21日

梅鶯仏壮会報第162号より

 新年明けましておめでとうございます。
 アフガニスタンで復興支援に尽くされていた医師の中村哲さんが、昨年の暮れに悲しくも銃弾に倒れられました。
 その中村哲さんが生前にこんなことを言っておられました。

『アフガンの人達の願いは二つです。一つは「一日三度の食事がとれること」。そしてもう一つは「生まれ故郷で家族と一緒に暮らすこと」』

 私達は現在日本という国のこの地に住み、朝起きれば太陽が昇り、空気があり水がある。
 そして朝ご飯を頂いて、一日を過ごさせて頂き、家に帰れば家族が待っている。
 今日のつぎには明日が来る。そして一年が終わればまた新しい年を迎える。
 私達にとって、「当たり前」と思っていることが、実は「当たり前でない」世界があるということを改めて気づかさせられました。

○「当たり前」が「有り難し」に
 仏教が示す「縁起」というものの考え方、つまり全てのものには原因があり、そこに縁が備わって結果が生じる。
 その縁起からすると、今の私があるということは、そう簡単なことでは無いことに気づかさせて頂くことができます。よほどのお育て(縁)があってのことです。「当たり前」と思っている世界が、「有り難し」に変わります。
 ただしここで大事なことは、「アフガンの人達よりも私達の方が幸せなんだ」と単に思うことではありません。
 「人身受けがたし、今すでに受く。仏法聞きがたし今すでに聞く」と示されます。
 つまり、人として生まれることは非常に難しいけれど、私達は今、人として生きている。その中でも仏法を聞くという事はまた難しいのだけれど、今私達は既に聞かさせて頂いている」という有り難さなんです。

○世の中安穏なれ、仏法広まれかし
 親鸞聖人は「世の中安穏なれ、仏法広まれかし」と仰られました。
 普通はその逆で、「仏法が広まって、世の中が安穏になる」のではないかと考えます。
 確かに、仏法が広まっているところに争いが生じることは少ないでしょう。
 ただし、現に争いが生じているところに「仏法を聞きなさい」と言っても甚だ難しいのです。
 私達の煩悩が燃えさかれば、仏法さえも拒絶してしまうのです。それほど人間の業は深いのです。
 ですから、私達が仏法を聞かせて頂くためには、世の中が平穏であることが大切なのです。
 私達の究極の目的は、弥陀の本願に出会い、安養の浄土に生まれることにあります。人間として生まれ、平穏な世の中で仏法に出会えている。このことこそが「有り難い」のです。

○阿弥陀様のご催促
 今私達が平穏でいられるということは、「早く仏法を聞きなさい」という阿弥陀様のご催促でもあるのでしょう。
 仏法に出会って、私の命の問題を解決した上で「今の生活を大事にする」。
 そこにより充実した人生があるのではないでしょうか。ようこそのお参りでした。

「元旦会」住職法話より
posted by ryoho at 12:15| 住職例会法話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする